亮は高槻出身だし、宮迫は高槻市上牧にある金光第一(現・金光大阪)出身である。

もともと昨日の宮迫のクビ(契約解消)を受けて今日何か書こうと思っていた。
当然、今日の会見が無ければ内容は変わっていた面が多いと思う。

何も言わずに去るのかと思っていたが、ニコ生の通知が届いたので、それを見た。
リアルタイムで感じたのは以下の通り。会見の休憩時間を割いて質問が続くあたりでだれて、5時前あたりで買い物落ちした。

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一番最初の「大崎(会長)とか岡本(社長)にぶつけりゃいいのに」というのは、昨日以前と全く思いは変わってない。
基本的には、所属方法がどうであろうと、一般的な会社ならケツ拭きは社長にかかってるのだが、大崎が喋った記事は目にしたものの、岡本は社長のクセに何やってんだよ、出てこんかい、と、騒動中ずっと思っていた。

例えば飛石連休の藤井君(吉本時代はミシマ・フジイ)が「一人の人間を社会的に抹殺するほどのことか」と呟き、とろサーモン久保田も似た内容の事を呟いているのが記事化されていたが、こういうのは誤解を生み易く、一見、世論の波が抹殺したように見えてしまうのだ。しかし(昨日の時点で)紙切れ一枚でクビを発表したのは吉本興業の方である。
昨日の時点でも抹殺したのは吉本興業だったし、今日の会見で「会見をさせなかった」のも吉本興業である事は分かった。

会見を遅らせてドツボにはまった人間は過去にもいた。次長課長の河本だ。
この吉本という会社は大崎や岡本の方針が悪いのか、顧問弁護士の質が余程悪いのかは分からないが、揉め事への対応が極めて杜撰だし、河本の時の失敗から何一つ学んでない。

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これは、雇用関係に於いて吉本が反社的権力を芸人に対してちらつかせている、という意味だ。

吉本のギャラが1/10という話は、少なくとも30年前から八方さんの楽屋話を中心によく耳にしていた。
しかし、東京進出も殆どしていない時代の1/10と、東京を吉本で汚したここ十数年の1/10は、等しく考えてはならないと思う。

今回の一連の報道で一番びっくりしたのは、所属芸能人が6千人もいるという事だった。
確かに2000年代に入って以降、文化人タレントが入ってきたり、そのマネージャーとタレントが一揉めあったり、
住みます芸人とかやりはじめて東京どころか日本全国を乗っ取ったりと、肥大化は留まる所を知らなかった。
私が吉本を面白いと言わなくなった時期と、吉本が寡占化した時期は、重なっている。

たむらけんじが労働組合の話を出していたと思うが、その前に、6000分の5400人くらい(全体像を把握してないので人数は適当)は所属タレントでは無くするべきだと思う。ワンコイン組以下にまで労働に含めてしまうと話の土台すらできない。

芸で稼ぐまでの活動はしてないのに大阪から東京へ進出する事を拒まれ、「吉本を辞めさせられ」「フリーの状態で東京へ行き」「芸人によっては以前のコンビ名で活動する事を禁止される」といった芸人を目にする事が増えたのも今世紀の話だ。とにかくろくすっぽマネージメントもできないクセして芸人の頭数だけはやたらと確保している。

この辺すら明文化されてないのだろうか?

---



宮迫と亮は悪い事は悪いで、制裁は受けた。
次は「世論が」岡本、ひいては大崎の人生を潰す流れになっても構わないと思う。きつい言い方だが。

前回の続き

大阪市 城北菖蒲園

城北菖蒲園入口の真横にある、「菅原城北大橋 歩行者自転車進入路」
歩行者はここを無理に上がらなくても、左側の公園から橋上面に上がれる。

上がると淀川堤防。

大阪市 城北菖蒲園

堤防側から見た城北菖蒲園。
目隠しの木が並んでいるが、剪定のためか、この日は隙間が多かった。

前記事の2枚目の真向かいから見た風景。

大阪市 菅原城北大橋

菅原城北大橋。
手前は「城北ワンド」という、淀川本流との間に切れ目のある仕切りを設けて水流を穏やかにし、生物を棲みやすくさせた場所。

漢字で「湾処」と書くのは、記事を書くまで知らなかった。

大阪市 菅原城北大橋

橋の上から撮ってみた。せっかくなので、散歩を延長して橋を渡った。

大阪市 菅原天満宮

その流れで対岸の東淀川区にある、菅原天満宮を参拝。
コーナン西隣りの公園の裏。

こちらは正面鳥居では無く、北側の鳥居。
もと堤防上に建立されたそうで、一段高くなっている様子がよく分かる。
右の極太の御神木は楠(クスノキ)で、現地表記によると(いつ計測したのかが分からないが)23.9m。

大阪市 菅原天満宮

梅の実の季節。

大阪市 菅原天満宮


JR城北公園通駅-(1190m)-城北菖蒲園-(1610m)-菅原天満宮-(1290m)-阪急淡路駅
(この項終わり)

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旭区の淀川沿い、菅原城北大橋の下にある城北公園(しろきた-)。
その北東側にあるのが、城北菖蒲園。

大阪市 城北菖蒲園
こんなに細かい案内図を頂いたのは初めてかも知れない。

真ん中に「現在地」と書いてあるが、頂いたのは左端の入口。

大阪市 城北菖蒲園
青もみじと花菖蒲群。園内はなかなかの賑わいであった。
案内図で言うと、右下の橋の所からで、手前右が「児化粧」、左が「紅千代鶴」という品種になる。

大阪市 城北菖蒲園
ツイッターに先に上げた写真と同じだが、この「富士なでしこ」という額紫陽花は人気があった。私も綺麗だと感じた。

大阪市 城北菖蒲園
真ん中北寄りの橋の傍に咲いていた「振袖姿」。

大阪市 城北菖蒲園
何故か額紫陽花に目が行く…。

大阪市 城北菖蒲園

大阪市 城北菖蒲園
鉢植えの展示もある。案内図左上。

おまけに続く(園内は終わり)

前回・前々回の花菖蒲
平成30年(2018)= 山田池公園(枚方市)
平成29年(2017)= 水月公園(池田市)

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前回=古市古墳群の続き

屯鶴峯と書いて、どんづるぼう、と読む。
京阪神周辺ではあまり無い風景かなと思い、古市古墳群より前に「行きたい所リスト」に入れていた場所だが、古墳ついででようやっと行った。
駅で言うと近鉄南大阪線の古市駅から2、3駅奈良寄りの、上ノ太子駅から3.1km、二上山駅から2.3km。府県道703号沿いに入口がある。

香芝市 屯鶴峯
屯鶴峯近くの駐車場にある、近畿自然歩道の案内板。
ここから和泉市南部の槇尾山まで続く自然歩道、ダイヤモンドトレールの起点にもなっている。

香芝市 屯鶴峯
場所は奈良県香芝市になるが、峠の先は大阪府南河内郡太子町。府県境はすぐそこ。

「二上火山群の雄峯で、瀝青岩(れきせいがん)の噴出をもってはじまった二上山の火山岩屑が水底に沈積して凝灰岩層となり、その隆起と風化水蝕により奇岩・奇勝となったものである」(右の説明板より)

二上山って、大昔は火山だったのか…。(今は近畿に活火山は無いが)

香芝市 屯鶴峯
入口の階段を上がった先に案内板があり、その先は左右二手に分かれている。

香芝市 屯鶴峯
案内板拡大。

…で、この写真を編集している時に気付いたのだが、

「白い岩肌部分は石質がもろく、非常に滑りやすく危険な上、岩肌が崩れることにより景観を損なう恐れがありますので、立ち入らないようご協力をお願いします」

と書いてあるではないか。

思いっきり立ち入ってしまった。反省。
現場で規制線が分かりにくいのもあったし、ストビューに、岩肌に立って撮影しているものもあるのだが…。

「禁止」の表現ではなく「ご協力(=要請)」なので、アウトじゃなくセウトなのかも知れないが、気付いてしまったものはしょうがないので、撮った写真・動画のうち侵入しすぎたものはお蔵入りにするしか無い。

香芝市 屯鶴峯
使える写真も残していたのは良かった。
こちらは、左右二手のうち左側を進んだ所の風景。ストビューがあるのはこっち。

奇岩の先に、山を削った新興住宅地も見えてしまっている。

香芝市 屯鶴峯
こちらが、右側を進んだ所の風景。右側の方がどちらかというと岩肌が見える面が広い。

土曜日の夕方4時前後だったが、私の他には私が入る前に出てきた人が2人、出る前に入ってきた人が2人ほどだった。(この項終わり)

前回の続き

応神天皇陵の南、後円部側には、誉田八幡宮(こんだ-)が鎮座する。
八幡神=15代応神天皇が祀られている。

羽曳野市 誉田八幡宮
南大門から入る。この門は同じ地にあった長野山護国寺の名残り。
お寺は明治に入って廃仏毀釈され、廃寺となった。

羽曳野市 誉田八幡宮

羽曳野市 誉田八幡宮
広い境内と拝殿。右奥をよく見ると、

羽曳野市 誉田八幡宮
応神天皇陵のそばまで行ける参道が伸びる。

羽曳野市 誉田八幡宮
放生橋。この先は入れない。
ストビュー(2017年4月撮影とある)と比較すると、説明板が更新されている。

羽曳野市 誉田八幡宮
反り具合の分かる角度

正面鳥居側から出て、東高野街道を南へ進む。
東高野街道と国道170号旧道(外環じゃないほう)の交差点の北東側に、いい感じの木造常夜燈があったのだが、運悪くその下に土嚢が積まれており、写真はボツにして、更に南下する。白鳥神社鳥居を横目に100mほど進むと、

羽曳野市 竹内街道道標
「最古の国道」と言われる「竹内街道(たけのうち-)」と交差する。
交差点の南東側に、新旧の道標が並んで立っていた。

この付近の竹内街道は国道166号として現役であり、良く言えばかつての面影を残す道幅だが、今の物差しに当てはめると「酷道」とも言える。

羽曳野市 安閑天皇陵
27代「安閑天皇陵」。世界遺産候補「じゃないほう」。
天皇陵のみで見ると、14・15・16・17・18・19代の天皇陵が世界遺産候補になっているが、安閑天皇陵に至っては、緩衝地帯にすら入っていない。

正面の説明板が安閑天皇陵のもので、右は「高屋城の不動坂」の説明板。
「戦国時代には丘の一帯に高屋城が築かれ、この古墳も城の縄張りの一部に利用されたため、墳丘や濠の形が変えられています」(安閑天皇陵の説明板より)

羽曳野市 安閑天皇陵
とは言え、見た目で形を捉え易い御陵だと思う。

羽曳野市 安閑天皇陵
歩道の無い国道170号旧道に面しているのが難点か。

世界遺産は地域にとっていいきっかけ作りにはなると思うが、むしろ世界遺産以外に目が向いてしまう古市古墳群周辺であった。

続く(古墳は終わり)

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前回の続き

玉手橋を渡って北50mの道を西へ進むと、道明寺天満宮の石灯籠があるので、そこを更に西へ進む。
(道明寺駅前の商店街「天神通」より1筋南の東西道)

藤井寺市 道明寺天満宮
突き当たりに現れるのは「古代道明寺五重塔礎石」。
今ここは境外なので、「道明寺」はもっと広かった事になる。

藤井寺市 道明寺天満宮
北へ70m進むと、「道明寺天満宮」門前。
道明寺天満宮は道明寺と一体化していたが、明治に神仏分離され、お寺の方は西隣りに移された。
神社は、昭和27年までは「土師神社(はじ-)」と名乗っていた。

道明寺には菅原道真の叔母にあたる覚寿尼公が住んでいた。その繋がりで、道真と覚寿が祀られている。

藤井寺市 道明寺天満宮
鳥居手前左側に手水舎があったのだが、気付かずに鳥居をくぐり、参拝してしまった。
鳥居の前もよく見ておかなければならない。

藤井寺市 道明寺天満宮
拝殿と絵馬。
ここは梅の名所であり、桜の名所でもある。

藤井寺市 道明寺天満宮
見易い道標

羽曳野市 応神天皇陵
西名阪高架を潜った先に見える森は、応神天皇陵・前方側陪塚の「誉田丸山古墳(こんだまるやま-)」。
(世界遺産候補の構成遺産)

ちなみにこの高架を右に進むと、「高架下に保存された古墳」の「赤面山古墳」がある。
そちらは世界遺産の構成遺産から除外された。
埋葬された人はさぞかし顔を真っ赤にして憤慨している事だろう。

羽曳野市 大鳥塚古墳
誉田丸山古墳の道路向かいにあるのが「大鳥塚古墳」。
(世界遺産候補の構成遺産)
宮内庁管理では無いので、私の地元の今城塚古墳同様自由に入れそうに見える。私は古墳内までは進まなかったが、後で確認するとストビューにもあった。

「前方後円」の二つの丘があるのが、見て分かる。

羽曳野市 応神天皇陵
再び道路向かい、誉田丸山古墳の西に、古市古墳群最大の、15代「応神天皇陵」遥拝所がある。
(世界遺産候補の構成遺産)

見る限り「山」である。大きすぎて、見ただけでは形状が分からない。

羽曳野市 応神天皇陵
御陵の西側に回ると、コーナンの裏手に「応神天皇陵古墳外濠外堤」史跡説明板がある。
内堤との間には外濠という名の「農地」が立ちはだかり、御陵には近づけない。

(はじめ「史跡には近づけない」と書きましたが、写っている範囲の外濠外堤自体が史跡なので、「御陵」に訂正しました)

羽曳野市 応神天皇陵
古い絵図では、1433年には濠の内側に鳥居がある。
1801年には古墳頂上まで石段があり、森も形成されている。
今の御陵も乱開発から逃れたという意味でアリだと思うが、江戸時代以前の地域に密着した御陵も羨ましく感じる。

続く

前回の続き

柏原市 玉手山公園
左の、明瞭に二つの山が見えるのが、15代応神天皇陵(大きさ日本2位、古市1位)。真ん中が15代天皇后仲姫命陵(なかつひめのみこと)(大きさ日本9位、古市2位)。右が19代允恭天皇陵(いんぎょう-)(大きさ日本19位、古市4位)。

大きさの参照は、堺市サイト「古墳大きさランキング・日本全国版」より。古市の順位に河内大塚山古墳は含まず。古市3位の14代仲哀天皇陵は、ここからだと応神天皇陵の真後ろに隠れる。

パノラマ案内図の全体を写さなかった(写したけど使わなかった)のは、一見分かりにくい落書きを発見したから。
遠方の大阪市内の建物の名前があるが、目視で確定できない。写真中の「サウスタワー」って何やったっけと考えてしまい後で調べたら、南海難波駅上のスイスホテルの事だった。そう言えば昔の名前は南海サウスタワーホテルだったのをすっかり忘れてた。

柏原市 玉手山公園
允恭天皇陵の少し左に、北西14km先のあべのハルカスが見える。これは分かった。
すぐ右に見えるのは、最頂部の形からタワマンの「シティタワーグラン天王寺(阿倍野区)」だと思う。




柏原市 玉手山公園
昼食。柏原市、八尾市、羽曳野市に店舗がある「ぱんのいえ」の国分店で買った、パン屋さんが作ったチーズバーガー。

柏原市 玉手山公園
中央口から公園を出る前に、遊園地の雰囲気を残す子ども向け乗り物遊具がある。
しかし、この時間は誰も乗っていなかった。

柏原市 玉手山公園
玉手山公園中央口。

●道明寺駅から玉手山公園中央口まで1120m。

柏原市 藤井寺市 玉手橋
大和川支流の石川を跨ぐ、玉手橋。歩行者自転車専用橋。
「この橋は昭和三年に架橋され五径間吊橋としては全国初の登録有形文化財になりました」(石碑本文ママ)

柏原市 藤井寺市 玉手橋
石川を渡って振り返り、玉手山公園を望む。

続く

JUGEMテーマ:大阪

世界遺産候補「百舌鳥・古市古墳群」。
百舌鳥古墳群は堺市内にあり、最大の前方後円墳である16代仁徳天皇陵がある。

一方、古市古墳群は、百舌鳥より東、奈良県寄りの羽曳野市と藤井寺市に跨がり、
仁徳天皇陵に次ぐ大きさの15代応神天皇陵がある。

今回は古市古墳群周辺を、古墳に拘らずにうろちょろした。
訪問日は6月1日(土)で、見事に日焼けして肌が赤くなってしまった。

先ずは玉手山公園へ。
近鉄大阪線・河内国分駅西口南の「国分駅西」交差点を右折(西)。

柏原市 玉手山公園
ちょっとした飲食街の先、桜並木のある小さな川・原川を渡ると、玉手山公園までは上り坂が延々続く。


柏原市 玉手山公園

柏原市 玉手山公園
上り切ると、玉手山公園の東口。

柏原市 玉手山公園
玉手山公園案内板。公園だが、開門は朝8時から夕方5時までの間。
明治41年(1908)から平成10年(1998)までは、ここに玉手山遊園地があった。
20世紀の、鉄道会社が運営する遊園地。
(遊園地時代は、残念ながら訪れた事は無かった)

以下、園内。

柏原市 玉手山公園
玉手山古墳の石室(手前)と石棺(奥)が、調査後、ここに移設保存されている。
説明板には、石室は4世紀、石棺は6世紀のものとある。

柏原市 玉手山公園
後藤又兵衛しだれ桜(左)と、吉村武右衛門碑(中)、後藤又兵衛碑(右)。
玉手山は1615年=17世紀には「大坂夏の陣」の戦いの場になった。
後藤又兵衛(基次)は、豊臣方の武将。吉村武右衛門はその家臣。二人とも付近で討ち死に、または自害した。
桜は平成12年(2000)に植えられた。

柏原市 玉手山公園
野外劇場。
左奥の白い建物は「おもちゃ館・歴史館」「昆虫館・貝・化石館」の2棟。2棟は内部で繋がっている。
名称まんまの展示で、おもちゃ館はなぜか全国の郷土玩具が並んでいるが、
「昆虫館・貝・化石館」の一部には、玉手山遊園地各種旧看板の展示もある。

柏原市 玉手山公園
アンティックな音楽堂。明治41年の開園時に建築されたもの。

柏原市 玉手山公園
アンティックな音楽堂のてっぺんにある、河南鉄道の社紋。
明治31年(1898)河陽鉄道の柏原・富田林間が開通。明治32年(1899)河南鉄道、大正8年(1919)大阪鉄道、
昭和18年(1943)関西急行鉄道、昭和19年(1944)以降は近鉄。

4世紀から6世紀、17世紀、20世紀と、移り行く玉手山であった。

●河内国分駅から玉手山公園東口まで970m、標高差65m

続く

JUGEMテーマ:大阪

琵琶湖岸の南北の道(湖岸道路)の南行車線。直線上の交差点先に電柱があるようにも見える。
ここのすぐ手前が緩い右カーブなのと、北行の右折レーンの存在もあって、車線そのものがほんの少し左に膨らんでいる。



北行の右折レーンは狭く、加えてビワイチ(自転車で琵琶湖一周する事)用と思われる、自転車走行帯を示す「矢羽根」も詰め込んでいる。交差点の改良の余地はある。
交差点付近の車線幅+歩道幅は、ここに限らず狭いと思う事が多々ある。

加害側・被害側、どちらの立場であろうと、他人事ではない事を肝に命じます。お悔やみ申し上げます。

※ツイッターにちゃんと埋め込めなかった(原因未確認)のと、ツイッターは文字制限もあるので、ツイッター側は即消しで、こっちに書き直した。


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