「今」のNOAHプロレスを観戦

  • 2019.09.18 Wednesday
  • 00:47
大相撲春場所以来久々の、エディオンアリーナ大阪(第1競技場)こと大阪府立体育会館でのスポーツ生観戦。プロレス。

ノア(NOAH)大阪大会、N-1(ヘビー級シングルリーグ戦)決勝がメインの大会。
生観戦そのものが久々だったので、見て楽しみ、声を張って応援して楽しんだ。



所属選手は全員頑張って欲しいと思ってるが、敢えて生観戦したきっかけの選手を一人だけ挙げるなら原田大輔。
もともと三沢光晴ファンなのでDNA上はノア繋がりだが、気持ち的には別の流れでまた視聴熱が高まりつつある。



この日は小峠との因縁の対決に破れたが(私は小峠も嫌いな訳ではない)、技の応酬には満足。

エディオンアリーナ大阪
GHCジュニアヘビー、HAYATA入場をYO-HEYが待ち構える場面。

写真は○、動画は×の決まり事だったが、カメラは持ってなかった(持って行く気が無かった)ので、スマホで数枚撮影。実際、試合が始まるとリングを注視する為、写真どころでは無い。

概ね満足ではあったが…、(第1競技場ならではの?)気になる点も。

試合開始が17時からなのだが、その前16時20分頃から「ダークマッチ」、いわゆる第0試合が2試合あって、そこだけで12選手も出てきたのは、その時間は客入りもまちまちだったので勿体なかった。

杉浦貴が前の試合(後楽園)で拳王に対して、「敵はお前だけじゃない、武藤敬司、秋山準、桜庭和志(という豪華ゲスト)」と言っていて、実際セミファイナルに登場した武藤は特に存在感もあり客受けも良く、メインを待たずに帰る客も見えた。
個人的にはこれも、生観戦した事で、ありのままが分かって良かったと思った。その事とは関係無く、拳王vs杉浦は見て満足できる試合をしてくれた。

テレビの時間も関係していたのか分からないが、拳王・清宮以外のパフォーマンス(目立つ時間)が無かった。

Bゾーンの席は空調が効き過ぎて寒かった。
YO-HEY大応援団が比較的近くにいたが、個人的には、本人は嬉しいだろうなという暖かい目で見ていた。

小さめの会場ならもっと満足するかなと、少し思った。

城北菖蒲園の裏側

  • 2019.06.11 Tuesday
  • 01:23
前回の続き

大阪市 城北菖蒲園

城北菖蒲園入口の真横にある、「菅原城北大橋 歩行者自転車進入路」
歩行者はここを無理に上がらなくても、左側の公園から橋上面に上がれる。

上がると淀川堤防。

大阪市 城北菖蒲園

堤防側から見た城北菖蒲園。
目隠しの木が並んでいるが、剪定のためか、この日は隙間が多かった。

前記事の2枚目の真向かいから見た風景。

大阪市 菅原城北大橋

菅原城北大橋。
手前は「城北ワンド」という、淀川本流との間に切れ目のある仕切りを設けて水流を穏やかにし、生物を棲みやすくさせた場所。

漢字で「湾処」と書くのは、記事を書くまで知らなかった。

大阪市 菅原城北大橋

橋の上から撮ってみた。せっかくなので、散歩を延長して橋を渡った。

大阪市 菅原天満宮

その流れで対岸の東淀川区にある、菅原天満宮を参拝。
コーナン西隣りの公園の裏。

こちらは正面鳥居では無く、北側の鳥居。
もと堤防上に建立されたそうで、一段高くなっている様子がよく分かる。
右の極太の御神木は楠(クスノキ)で、現地表記によると(いつ計測したのかが分からないが)23.9m。

大阪市 菅原天満宮

梅の実の季節。

大阪市 菅原天満宮


JR城北公園通駅-(1190m)-城北菖蒲園-(1610m)-菅原天満宮-(1290m)-阪急淡路駅
(この項終わり)

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城北菖蒲園の花菖蒲と紫陽花

  • 2019.06.10 Monday
  • 00:00
旭区の淀川沿い、菅原城北大橋の下にある城北公園(しろきた-)。
その北東側にあるのが、城北菖蒲園。

大阪市 城北菖蒲園
こんなに細かい案内図を頂いたのは初めてかも知れない。

真ん中に「現在地」と書いてあるが、頂いたのは左端の入口。

大阪市 城北菖蒲園
青もみじと花菖蒲群。園内はなかなかの賑わいであった。
案内図で言うと、右下の橋の所からで、手前右が「児化粧」、左が「紅千代鶴」という品種になる。

大阪市 城北菖蒲園
ツイッターに先に上げた写真と同じだが、この「富士なでしこ」という額紫陽花は人気があった。私も綺麗だと感じた。

大阪市 城北菖蒲園
真ん中北寄りの橋の傍に咲いていた「振袖姿」。

大阪市 城北菖蒲園
何故か額紫陽花に目が行く…。

大阪市 城北菖蒲園

大阪市 城北菖蒲園
鉢植えの展示もある。案内図左上。

おまけに続く(園内は終わり)

前回・前々回の花菖蒲
平成30年(2018)= 山田池公園(枚方市)
平成29年(2017)= 水月公園(池田市)

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城北公園通駅、JR野江駅周辺

  • 2019.03.17 Sunday
  • 02:45
前回に引き続き、開通前の新駅。
位置図ラフ
城北公園通駅 JR野江駅 地図
城北公園通駅周りは、昭和44年(1969)に大阪市電が廃止されて以来、50年ぶりに鉄道が復活する。
地下鉄谷町線が避けてしまった地域。
城北(しろきた)は、明治22年から大正14年までの村名。この「城」とは、大阪城ではなく榎並城のこと(角川日本地名大辞典より)。通り名の由来となった城北公園までは駅から970mで、ギリギリ1km圏内。

JR野江駅近辺には谷町線と京阪の駅がある。
こちらも淡路と同様に普通の速度で歩いてみた結果、谷町線野江内代とJR野江の改札間は6分40秒。JR野江と京阪野江の改札間は1分50秒で、淡路の阪急JR間より速かった。

大阪市 城北公園通駅
城北公園通駅(しろきたこうえんどおり)。こちらは高架の東側だが、西側にも出られる。駅前広場は無い。前輪ロック式駐輪場が駅傍にある。
ガード奥に、蕪村通商店街が見える。

大阪市 城北公園通駅
駅から西に伸びる蕪村通商店街。毛馬出身の与謝蕪村にあやかって命名されている。大川沿いには蕪村公園が、毛馬閘門近くには与謝蕪村生誕地の碑がある。
都島大東郵便局が見えるが、地名は大東町であり、由来はなんと大東亜戦争である(都島区サイトより)。
昭和18年都島区誕生の際、毛馬・友淵(渕)・赤川の一部を切り取って、この新地名が出来た。

大阪市 城北公園通駅
駅の南を横切る城北川(運河)と、西浪橋公園。上は阪神高速守口線。
雨が降っているが、噴水は動いている。雨の日は止めてもいいと思う。

大阪市 城北公園通駅
駅の北西、城北公園通より先は、淀川堤防まで城北緑道が伸びる。左は桜宮高校グラウンドのネット。
駅から城北緑道経由で淀川堤防まで880m。

大阪市 城北公園通駅
複線化された赤川鉄橋。

大阪市 城北公園通駅
単線で、人が通る事ができた時代の赤川鉄橋。平成21年(2009)

大阪市 赤川 日吉神社
淀川堤防から見る、赤川の日吉神社(駅から赤三商栄街経由で890m)。
赤川の地名は、かつてあった「赤川寺(せきせんじ)」から付いた。

大阪市 赤川 日吉神社
日吉神社拝殿左奥の祠。手前は役小角(えんのおづぬ。役行者)由来の「行者堂」。奥は「白い石神」。

大阪市 赤川 日吉神社
黒い石神。

大阪市 城北公園通駅
赤川3交差点と赤三商栄街。この交差点に市電の赤川町三丁目電停があったので、市電由来の商店街名と思われる。

大阪市 城北公園通駅
おみやげ。城北公園通沿いにある松福堂正一さんの和菓子。
お店の場所は上の赤川3交差点から東へ190m、道路南側。

---

大阪市 JR野江駅
JR野江駅。淡路と同じく、見た目がJRJR野江駅。
城北公園通と同じく、駅前広場は無く、高架下の隙間に前輪ロック式駐輪場がある。高架の東側の写真だが、西側にも出られる。JR駅からの視界に限れば商店は少ないが、かろうじて「駅前の喫茶店」が写真右にある。

各駅に前輪ロック式駐輪場を備えたが、足りるだろうか?

大阪市 野江 水神社
野江の水神社。駅北側の2車線路を西へ、JR野江駅から310mの所にある。谷町線野江内代からはすぐ。

大阪市 野江 水神社
鳥居右手、野江水流地蔵尊の説明板。
野江に限らず、大阪平野の低地一帯は洪水にまつわる「忘れてはならない話」が随所に見られる。

大阪市 野江 水神社
拝殿左奥の境内社「野江稲荷大明神」と、日露戦勝記念碑。祠の上は桜の枝。

ここの境内、やたらと人が通る。なぜかと思い確かめてみると、野江内代駅へのショートカットだった。

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天満の旧地名探し(5)南北の町筋c

  • 2018.12.05 Wednesday
  • 00:35
前回の続き

旧・天満四丁目と、五丁目の東筋。区画整理で消えた筋編。
道が無いので、難易度が高い。

大阪市 天満 地図

「元祖四丁目グループ」は2筋。
明治改正前は「二丁目と今井町」の関係に似ていて、両筋の南側が「四丁目」、北側が「金屋町」だった。さらに北へ、典薬町、板橋町と続いた。
明治改正で東筋が「金屋町」、西筋は「朝日町」となったが、朝日町の筋は鳥居筋までで、鳥居筋から霊符筋までは道路東側が「金屋町」で西側が「朝日町」、裏門筋から溝之側までは道路東側が「金屋町」で西側が「信保町」と、変則的だった。

「元祖五丁目グループ」も2筋だが、今回は、明治改正後の「信保町」のみを取り上げる。

大阪市 天満

道路向こうの歩道に旧町名継承碑があるが、ここは1筋の道路に対して、両端寄りに2つある。
左(東)が金屋町、右(西)が朝日町のもの。

市之側から鳥居筋までは、区画整理で2筋が1筋にまとめられ、一部の道が消え(上の地図の破線部)、溝之側まで直線の筋になった。
写真の道路はどちらかと言えば朝日町寄りなので、上の地図は朝日町を実線にしている。

(四丁目+金屋町+典薬町の東筋+板橋町=)金屋町
(四丁目+金屋町=)朝日町。朝日町は明治改正後の新町名。由来は継承碑によると「佳名による命名」で、いわゆる瑞祥地名。

大阪市 天満

(信保町+典薬町の中筋+岩井町+板橋町=)信保町(しんぽ-)

大川沿いの南天満公園側から町を見ると、旧町名継承碑の背が見える。この先に信保町の筋があったのだが、市之側から鳥居筋までは区画整理で消えた(上の地図の破線部)。
「しんぽ」は継承碑によると、薬の名前とされている。明治5年の時点で消滅した「典薬町」と合わせて興味深い名前。



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天満の旧地名探し(4)南北の町筋b

  • 2018.12.02 Sunday
  • 01:25
前回の続き

旧・天満二丁目から三丁目。二つの天満橋筋編。

大阪市 天満 地図

「元祖二丁目グループ」は2筋ある。
明治改正前は、両筋の南側が「二丁目」、北側が「今井町」だった。西側の筋はさらに長柄町、鈴鹿町、友古町、源八町と続く。
明治改正で一筋一町名となり、東筋が「今井町」、西筋が「天満橋筋」となる。

「元祖三丁目グループ」は1筋。
明治改正前は、南側が「三丁目」、北側が「空心町」だったが、明治改正で一筋一町名の「空心町」となった。

大阪市 天満

(二丁目+今井町=)今井町。旧町名継承碑。
肝心な由来部分が反射で読み辛いが、地名の由来について「江戸時代天満組の惣年寄今井氏宅にちなむとする説がある」と記されている。これに補足すると、この今井氏は「大和今井町の出身で大和屋と称した(日本歴史地名体系)」。

大阪市 天満

(二丁目+今井町+他4町=)天満橋筋。現・天満橋筋より一筋東。
道路向こうの歩道に旧町名継承碑がある。大川の向こうはOMMビルで、現在この間に橋は架かっていない。

ここに旧・天満橋が架かっていたので明治5年に天満橋筋としたまではよかったが、明治11年に天満橋は一筋西の現在の位置に架け替えられてしまった。

大阪市 天満

(三丁目+空心町=)空心町。こちらが現・天満橋筋。
交差点の北西側に旧町名継承碑がある(写真右寄り)。由来は、仏照寺(天満別院)の僧侶の名の説がある。言われてみれば坊さんの名前っぽい。

ここに天満橋を架け替えた事で、南へ続く谷町筋と一体化されたが、現・天満橋筋の愛称が付いたのは1995年(平成7年)と新しい。実態と合っているので構わないのだが、(「新」を冠する等の)旧町名への配慮は無かった。

「天満地区ホープゾーン」の地図では「谷町筋」と誤記されている。そう言えば昔、とある人との会話で「(現・天満橋筋は)谷町筋では?」と問われた事があった。1995年命名だと、言われる程定着してないのかも知れない。OBPを横切る城見通あたりも、土佐堀通と思われてそうである。

現・天満橋筋と国道1号の東天満交差点にはその昔、市電の空心町電停があった。交差点に旧地名を偲ばせる事は珍しくないから、そこを天満空心町交差点と名付けてもいいのにと、少し思う。

続く



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天満の旧地名探し(3)南北の町筋a

  • 2018.11.13 Tuesday
  • 00:35
前回の続き

天満のうち天神橋筋商店街より東では、南北に町名が付けられていた。
昔の町名は、現地に「旧町名継承碑」があれば知る事ができる。

上記範囲の天満の町名の付け方は大雑把に言えば、
(1)東は川崎渡しから西は天満堀川まで、東西に1丁目から11丁目を割り振り、南北の町筋もそれに合わせて何丁目と呼ばれるようになった

(2)南北の筋の一部が何丁目から分かれて固有地名を名乗り、江戸中後期の地名はこの名称で安定した

(3)明治5年の改称で、全ての南北筋に固有名詞を付けた

(4)昭和53年の改称で、多くの地名が消えた

という流れ。「旧町名継承碑」の旧町名は、(3)にあたる。
(3)を軸に(2)を混ぜながら文を進める。

大阪市 天満

川崎橋から天満を見る。昔は橋が無く、渡し船だった。

大阪市 天満

橋を渡った先に造幣局桜の通り抜けの入口がある。
2010年の写真を引っ張り出してきた。

大阪市 天満

普段は人の気配はほとんど無い。
この手前の植え込みで背を向けているのが、旧町名継承碑。
ここから北へ伸びるのが旧・川崎町。植え込みの北側から西へ伸びるのが渡場筋。

大阪市 天満

表側。川崎町の説明かと思いきや、造幣局敷地内の「新川崎町」の説明だった。

大阪市 天満 地図

「元祖一丁目グループ」は2筋ある。
川崎町は、明治改正前は「一丁目」だった。
川崎町と通り抜けの間の斜めの筋沿いには、かつて堤防があったと推測されている。

臼屋町はそのまま。
臼屋町の継承碑は大川沿いの道路の川側の歩道脇にある。
ほぼ同じパターンがこの先続くので、写真は省略。

続く


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