| 2008.01.20 Sunday/01:03 |
太閤道・金龍寺跡 |
古曽部能因道の続き。
花乃井から北東へ、名神を潜って磐手橋を渡ると、右に高槻市公園墓地(安満宮山古墳)方面への分岐があり、そこが太閤道ハイキングコースの起点にもなっています。ここから先ず1.2km先の「金龍寺跡(金竜寺跡・こんりょうじ-)」を目指します。
道標の方向が微妙な感じがしますが、左の建物の方向へ。
ここが登山口。右へ入ります。
秀吉が山崎合戦に利用したと云われているので「太閤道」です。その真実は定かではありませんが、京へ向かう際の、天王山の一つ前の山塊を貫く道なので浪漫はあります。
右に沢の音を聞きながら、赤鳥居横の階段を上る。


白馬石を過ぎ、道標に従って沢を渡り、さらに上ります。道沿いの各所にある丁石が、ここが参道であった事を今も示しています。
上が平らな岩がありました。その名も「座禅石」。
寺跡までもう少し。石段を上ります。
石段を上がった先には、池跡と思われるものが。手元にある資料から「弁天池」だと思われます。

池からもう一段高い所に進み「金龍寺跡」に到着しました。正面に本堂や開山堂、左端の階段のさらに左が方丈になるのでしょうか?
今は冬なので木々がスカスカですが、紅葉の季節はそれなりの風景になるような気がします。

金龍寺は「摂津名所図会」に、松茸狩の名所として描かれている場所です。そして前回辿ってきた能因塚にあった句碑には、ここの桜の風景を詠んだ句が刻まれています。そこからいつしか境内の桜は「能因桜」と名付けられ、後に西行や芭蕉も句や文を残し、さぞかし親しまれた場所だったのでしょうが、明治以降は無住寺となり、1983年(昭和58年)にハイカーの火の不始末により消失してしまいました…。

寺跡から太閤道をまた上り始めるとすぐに、寺最上部の遺構と思われる七重の石塔がありました。
続く
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花乃井から北東へ、名神を潜って磐手橋を渡ると、右に高槻市公園墓地(安満宮山古墳)方面への分岐があり、そこが太閤道ハイキングコースの起点にもなっています。ここから先ず1.2km先の「金龍寺跡(金竜寺跡・こんりょうじ-)」を目指します。
道標の方向が微妙な感じがしますが、左の建物の方向へ。
ここが登山口。右へ入ります。秀吉が山崎合戦に利用したと云われているので「太閤道」です。その真実は定かではありませんが、京へ向かう際の、天王山の一つ前の山塊を貫く道なので浪漫はあります。
右に沢の音を聞きながら、赤鳥居横の階段を上る。

白馬石を過ぎ、道標に従って沢を渡り、さらに上ります。道沿いの各所にある丁石が、ここが参道であった事を今も示しています。
上が平らな岩がありました。その名も「座禅石」。
寺跡までもう少し。石段を上ります。
石段を上がった先には、池跡と思われるものが。手元にある資料から「弁天池」だと思われます。
池からもう一段高い所に進み「金龍寺跡」に到着しました。正面に本堂や開山堂、左端の階段のさらに左が方丈になるのでしょうか?
今は冬なので木々がスカスカですが、紅葉の季節はそれなりの風景になるような気がします。

金龍寺は「摂津名所図会」に、松茸狩の名所として描かれている場所です。そして前回辿ってきた能因塚にあった句碑には、ここの桜の風景を詠んだ句が刻まれています。そこからいつしか境内の桜は「能因桜」と名付けられ、後に西行や芭蕉も句や文を残し、さぞかし親しまれた場所だったのでしょうが、明治以降は無住寺となり、1983年(昭和58年)にハイカーの火の不始末により消失してしまいました…。

寺跡から太閤道をまた上り始めるとすぐに、寺最上部の遺構と思われる七重の石塔がありました。
続く
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