芥川の辺で一人。弐2024-02-26T23:32:24+09:00芥月(ST)ツイッター https://twitter.com/actazki のサブスペースです。 高槻市在住JUGEM呟きの方のトレンドhttp://acta.jugem.jp/?eid=17702024-02-26T22:40:08+09:002024-02-26T13:40:08Z2024-02-26T13:40:08Zいつにも増して、かなり荒れとるなあ…
スパムになっとる。自動化の成れの果て
アラビア文字(だけでは無いが)拒否ツールが欲しい芥月独り言・その他
スパムになっとる。自動化の成れの果て
アラビア文字(だけでは無いが)拒否ツールが欲しい]]>2023年の呟き整理=南河内(2)http://acta.jugem.jp/?eid=17692023-12-28T23:27:00+09:002023-12-28T14:40:42Z2023-12-28T14:27:00Z令和5年/2023.9のつぶやき(ツイッターX)内容。投稿日時はバラバラ
(2)【富田林市】
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喜志 美具久留御魂神社(みぐくるみたま-)
喜志の宮
2記事
・下拝殿、上拝殿、涙だれの梅庭園(なみだれ-)、奥神籬
・宮(町名)のだんじり小屋
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近鉄 富田林駅 ...芥月和泉南河内
(2)【富田林市】
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喜志 美具久留御魂神社(みぐくるみたま-)
喜志の宮
2記事
・下拝殿、上拝殿、涙だれの梅庭園(なみだれ-)、奥神籬
・宮(町名)のだんじり小屋
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近鉄 富田林駅 南口
・金剛バス
・富栄橋(現存せず)の親柱
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富田林寺内町
・富栄戎神社(とみさか-)(閉門)
・山中田坂(やまちゅうだ-)
・用心堀の古手屋橋
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・大伴黒主神社 山中田(やまちゅうだ)の幟
↓「続き」にリンクあり
]]>2023年の呟き整理=南河内(1)http://acta.jugem.jp/?eid=17682023-12-28T22:40:00+09:002023-12-28T14:25:39Z2023-12-28T13:40:00Z令和5年/2023.9のつぶやき(ツイッターX)内容。投稿日時はバラバラ
※前に別のものを直接リンクしてまとめたらスクロールが鬱陶しくなっているので、
アドレスからhを取って、思い出しやすい単語だけ適当に抽出。
↓
と思ったけど、やっぱりリンク確認が面倒臭いので…
...芥月和泉南河内
※前に別のものを直接リンクしてまとめたらスクロールが鬱陶しくなっているので、
アドレスからhを取って、思い出しやすい単語だけ適当に抽出。
↓
と思ったけど、やっぱりリンク確認が面倒臭いので…
数記事前後で区切ります。
金剛バス(金剛自動車)の報道を受けて巡った。
1日の行程をこれだけ分けて呟いてたら、記事に出来てない分もあって当然か…
(1)【大阪府太子町】(太子町・曖昧さ回避)
※太子町は未記事化分あり。
記事化の目処は立ってないけど、記事化したらここに追加するかも
---
近鉄 上ノ太子駅 ※駅の所在地は羽曳野市
・聖徳太子像
・金剛バス
---
・聖徳太子御廟前バス停
・飛び出し坊や 聖徳太子
・科長神社口・ふくの音前バス停
↓「続き」にリンクあり
]]>能勢電鉄ときわ台駅(仮終了)http://acta.jugem.jp/?eid=17672023-12-23T22:25:00+09:002023-12-27T13:04:31Z2023-12-23T13:25:00Z【2023.12.27追記】
27日に能勢電鉄さんからお返事。対応は今後の話なので時間はかかるでしょうが、頂いた文章については丁寧であったので、この記事を投稿時に「対応の印象は悪い」と感じた点は解消しました。
(私が別途ほぼ同内容の質問を送った)川西市の担当の方と...芥月地名ネタ
27日に能勢電鉄さんからお返事。対応は今後の話なので時間はかかるでしょうが、頂いた文章については丁寧であったので、この記事を投稿時に「対応の印象は悪い」と感じた点は解消しました。
(私が別途ほぼ同内容の質問を送った)川西市の担当の方と話も共有できているようなので、まあ大丈夫でしょう。(駅自体は豊能町にあります。手っ取り早い資料があるのが川西市)
現時点で「常盤御前である」と思っている人がいなくなった訳ではないので、過程として記事自体は残します。
※重要なので繰り返しますが、誰も気付かないのだから、本来は笑い話です。
---以下本文
前の記事の続き
川西市のお墨付きをもらい、再度能勢電鉄に問いました。
長くなりますが、私の書いた問い合わせ文の流用。
---ここから
御社を信用して「あれは常盤御前だ」と紹介している方がウェブ上に複数いらっしゃいます。
結果的に、御社が間違いを伝播している状態です。
【要望】
元凶は以下の御社サイト内記事です。最低限、以下の部分は訂正か、削除して下さい。
検索で出てくる御社の「鉄道線ホーム駅名看板の意匠変更について(お知らせ)」に
https://noseden.hankyu.co.jp/upload_file/noseden/information/info201412251.pdf
「常盤御前のシルエット」と書いてありますが、間違いです。
御社ホームページ>鉄道情報>路線図・駅情報>ときわ台駅 の項目に、
「常盤御前のシルエット」と書いてありますが、間違いです。
---ここまで
↓結果、能勢電鉄が書き換えた文章(2023.12.21もしくは22)
「ときわ台地区にゆかりのある清和源氏(と吉川峠の桜のイメージです)」
---
結局、頑なに「常盤御前を描くつもりが、間違って巴御前を描いていた」事を認めてないので、本社の対応の印象も悪い感じのまま(→解消。以下、対応の話は一部消去。追記参照)で、残念ながら笑い話にはなりませんでしたね。
単純に解釈すると、外注に丸投げだったんでしょうね。分かる人がいないのでしょう。
どのみち巴御前を描いてるのだから「清和源氏」と説明されても本来はなんのこっちゃなのですが、2023年12月、コレコレこういう理由があってこうなりましたっていう記録をハッキリ残しておく事が良いと思い、ここに記しておきます。
補足
「利用者も気付かへんよね〜」とはツイッターXの方にも呟いたけど、豊能町の関係者は何とも思わないのかな、とはちょっと思います。が、豊能町さんの場合は駅名標よりも、山下から妙見口の支線化に対する今後の懸念の方が大きいと思うので。
]]>能勢電鉄ときわ台駅(質問用画像)http://acta.jugem.jp/?eid=17662023-12-18T22:55:00+09:002023-12-19T13:02:55Z2023-12-18T13:55:00Zときわ台駅(大阪府)の駅名標の絵の部分です。
拡大して見たかったので、現地で撮っています。
【12.19追記】
18日夜に川西市役所の市民環境部 文化・観光・スポーツ課(清和源氏まつりの担当部署)に問い合わせフォームから送信したところ、翌日(今日)午後...芥月地名ネタ
拡大して見たかったので、現地で撮っています。
【12.19追記】
18日夜に川西市役所の市民環境部 文化・観光・スポーツ課(清和源氏まつりの担当部署)に問い合わせフォームから送信したところ、翌日(今日)午後に電話でご回答頂きました。
川西市の素早い対応に、しかも電話で頂き、感謝します。
そして、御担当のかたに「巴御前に見えますね」とおっしゃって頂きました。
---
能勢電鉄サイト
(1)鉄道線ホーム駅名看板の意匠変更について(お知らせ)pdf
https://noseden.hankyu.co.jp/upload_file/noseden/information/info201412251.pdf
(2)能勢電鉄>路線図・駅情報>「ときわ台駅」紹介ページより
※アドレスは長い(ブログ枠からはみ出る)ので省略
「ときわ台住宅地名の由来である常盤御前のシルエット」
…ではありません。公式によってそう思わされているかたはご注意下さい。
少しでも気付いてもらえれば。
---
なお、市役所からも能勢電鉄に問い合わせされたようで、能勢電鉄から私に届いた回答と市役所の御担当のかたの話を合わせると、あの駅名標の絵は「清和源氏に由来する絵」である(=巴御前とか常盤御前とかまでは考えてない)ようです。
少なくとも、サイトの説明とは異なりますね。笑
清和源氏は「大元」なので、そこから辿れば(遠いですが)常盤御前の名が出てくるのは、私も承知しています。吉川地区の高代寺も出てきます。「日本歴史地名大系(平凡社)」で確認した「多田庄内の諸郷村」の中には、吉川内の小集落の表記違いで「保野谷」の文字が見えます。ただし、吉川に常盤御前ゆかりの場所があるかと言うと、無い。
※なお、能勢電鉄から市役所に対しては「当時の絵を描いた人とか担当者がよく分からない」ともおっしゃっていたようですが、私に対しては、1週間前の「社内にてさらに調査を行いまして」のメール以降音沙汰無しです。
]]>能勢電鉄ときわ台駅と常盤御前http://acta.jugem.jp/?eid=17652023-12-12T23:10:00+09:002023-12-13T11:06:03Z2023-12-12T14:10:00ZツイッターXでも呟いているが、記事が流される事を考慮して、ブログにも記載。(認識してもらう事が必要なため)
呟きをリンクすると記事が重くなるので、日付だけ記す(→h抜きのアドレスを後日足しました)
知ってても黙ってる、または指摘するのが面倒くさいという...芥月地名ネタ
呟きをリンクすると記事が重くなるので、日付だけ記す(→h抜きのアドレスを後日足しました)
知ってても黙ってる、または指摘するのが面倒くさいという人もいると思う。
(呟きは12/4)
ttps://twitter.com/actazki/status/1731664707579461716
【写真】ときわ台駅(大阪府 豊能町)
「妙見の森」の営業終了の知らせを聞いて訪れた際、能勢電鉄妙見線の終点の一つ手前のこの駅の駅名標が、たまたま気になった。
↓
(呟きは12/12)
ttps://twitter.com/actazki/status/1734551348967080081
【写真】京都・時代祭の巴御前
能勢電鉄公式サイトの駅紹介に「常盤御前のシルエット」とあるが、駅名標の絵は「巴御前」(シルエットでもない)である事に気づいた。公式の「お問い合わせ」フォームから先週月曜夜(12/4)、この件について質問した。受付完了メールは届いた。お返事は12/12現在、頂いてない。
↓
駅名標を一新して9年経つのだから、笑い話である。
「個人的には」絵を描き直さずに「面白い謝罪文」や「巴御前の一言」を加えて大喜利でもやった方が、おおらかでいいと思う。秀逸な作品ならバウ(VOW)ネタっぽくなる。
↓
12/13追記
12/13に「送信専用アドレス」経由でお返事を頂いた。
逐一「お問い合わせ」をするわけにもいかないので、回答の部分だけ箇条書きする。
・「駅名の由来」に関する説→諸説あるとされている(詳細は以下の理由で省略)
諸説あるのが明らかなら、公式サイトに「諸説ある」旨の文が必要なので、今後の対応を見届けたい。
・「巴御前」である可能性→社内にてさらに調査を行う、との事
つまり、結論が出てない。
12/12本文の追記
(問い合わせフォームに書いて、呟きには書いてない)
※送信した文章のコピペにした(12/13)
ときわ台の由来が常盤御前と言うのも(吉川の歴史などから探しましたが)ソースが見当たりませんでした。「常盤」は永久不変の意味を持つ「縁起のいい地名」として各地で用いられてる(瑞祥地名)ので、常盤御前ではないかも知れません。(これは私の推測であって、私に見落としがあるかも知れません)
↓
(上文の補足)出典があれば欲しい。
(以下は問い合わせフォームにも書いてない)
私の推測だが、造成するにあたり、常盤山、常磐木、常盤松など、常緑樹に関する熟語あたりから新地名が思い浮かんだのではないか。常盤、常磐(皿と石)は混在する。ちなみに常盤御前は京都市右京区常盤が由来、と一般的には言われる。
あと、公式の該当ページのスクショは念のため撮ってある
]]>江野川の太子橋http://acta.jugem.jp/?eid=17642023-07-04T21:30:30+09:002023-07-04T12:30:30Z2023-07-04T12:30:30Z大阪の地下鉄に「太子橋今市(たいしばしいまいち)」という駅があり、駅名の由来を検索で探すと太子橋の項目で「天王寺庄がどうたらこうたらで聖徳太子にゆかりがなんたら」の話は出てくるのだが、「橋」の話がイマイチ引っ掛からないので、中之島で住宅地図を漁ってきた...芥月地名ネタ
「太子橋」はかつて流れていた「江野川」に架かっていた橋の名前。昭和46年(1971)に流路上を阪神高速守口線が開通し、昭和49年(1974)までに江野川は暗渠化されたため、太子橋も役目を終えた。
太子橋小学校の北西角が跡地にあたるが、令和5年(2023)時点で痕跡は無い。
参考(pdf注意)
https://www.city.osaka.lg.jp/asahi/cmsfiles/contents/0000174/174707/P080-081.pdf
以下
〜今昔マップ on the web より作成〜
]]>「二十バス停」考http://acta.jugem.jp/?eid=17632023-05-31T22:25:00+09:002023-05-31T13:47:58Z2023-05-31T13:25:00Z高槻市役所前から南に伸びる府道16号に「二十(はたち)」というバス停がある。
下田部町2丁目と、南庄所町の境界付近。
珍名バス停だと思う。で、由来を調べるのだが見当たらない。
調べていて分かったのは「小字名ではない」のと「条里地割内の二十坪目、などでは...芥月地名ネタ
下田部町2丁目と、南庄所町の境界付近。
珍名バス停だと思う。で、由来を調べるのだが見当たらない。
調べていて分かったのは「小字名ではない」のと「条里地割内の二十坪目、などではない」事。
気付いたのは「国鉄」高槻駅から直線で20町の距離にある事。
文献が探し出せない以上、断定はしないが、一致しているので、
素材をお借りしてここに記しておく。
一般的な傾向だと今では「芥川大橋東詰」などというバス停名になりそうだが、
珍名バス停として、残しておいて欲しいなあと思う。
〜今昔マップ on the web より作成〜
]]>ツイートまとめテストhttp://acta.jugem.jp/?eid=17612023-02-01T21:02:00+09:002023-02-01T12:02:30Z2023-02-01T12:02:00Zツイートまとめテスト
※この記事は私の呟きをかき集めている最中のものです
高槻市分
2022.12.28
萩之庄 日吉神社
萩之庄 日吉神社日吉神社だが日吉大社系ではなく、天津日高彦番能邇々藝命つまり先日伺った京都馬町三嶋神社と同じニニギと、天児屋根命(春日)を...芥月モブログ
※この記事は私の呟きをかき集めている最中のものです
高槻市分
2022.12.28
萩之庄 日吉神社
2022.12.28
檜尾山 春日神社(山手町)
2022.12.21
古曽部 日吉神社
2022.12.28
野田 春日神社
2022.12.29
上田辺 上宮天満宮(天神町)
2022.12.31
高槻センター街
2022.12.29
高槻城内 野見神社(野見町)
2023.01.10
高槻城内 野見神社・高槻戎神社(野見町)
2022.12.25
庄所神社
2023.01.20
芝生(しぼ) 八幡大神宮(1)
2023.01.21
芝生(しぼ) 八幡大神宮(2)
]]>島原鉄道廃線跡・地図のみhttp://acta.jugem.jp/?eid=17602022-07-31T20:10:00+09:002022-07-31T11:16:48Z2022-07-31T11:10:00Zもののついでで、航空写真と照らし合わせながらなぞりました
長崎空港や熊本空港との距離感も分かるような範囲にしています
島原鉄道 島原外港-加津佐
芥月地名ネタ
長崎空港や熊本空港との距離感も分かるような範囲にしています
島原鉄道 島原外港-加津佐
]]>吹田市の大神木神社・補足http://acta.jugem.jp/?eid=17592022-02-19T00:12:19+09:002022-07-31T11:15:44Z2022-02-18T15:12:19Zツイートだけでは書き切れないので。
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元伊勢の確認をしている最中に「大神木神社」が目に引っかかった。
吹田市の山田地区(旧山田村域内)にあるらしいだが、
・記事を鵜呑みにすると、名神の高架脇に押し込められているのが不憫に感じる
・元伊勢にしては、...芥月地名ネタ
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元伊勢の確認をしている最中に「大神木神社」が目に引っかかった。
吹田市の山田地区(旧山田村域内)にあるらしいだが、
・記事を鵜呑みにすると、名神の高架脇に押し込められているのが不憫に感じる
・元伊勢にしては、検索してもろくに出てこない謎の社
・近隣の神社でこの社について触れられても良さそうだが、それも見当たらない
・ウィキペディアは一見深掘りして書いてあるように見えたが、よく読むと雑
・そもそもウィキペディアの「元伊勢」の項では、参考三書の出典が唯一無い
という訳でなんとも気になり、先週末に撮りに行った。
この辺りは全然知らない場所ではないが、この小社には全く気付いたことが無かった。
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写真の他に検索で分かった事
・大字山田下の小字名に「上大神木」「下大神木」がある。
範囲は明治の地形図も合わせ見ると、旧街道に架かる「大神木橋」より南、市場池北側の市境まで。山田川西側の平地部農地で、集落部ではない。
・「下大神木」寄りに「下大神木橋」が架かり、「しもだいのきばし」の仮名書き橋名板がある。
戦前の地形図には描かれてない(道が無い)。
リンク←こちらの方の取材に詳しく、見やすいので、リンク貼らせてもらいました
・ウィキペディア「大神木神社」の項に「山田橋(旧:下大神木橋)があり」の記述があるが、下大神木橋は上記の場所にあるので、山田橋の旧名は小字「上大神木」寄りに架かる「上大神木橋」ではないか(これは執筆時には確定できない)。
順序としては山田名神下交差点〜樫切山交差点〜(狭い2車線路)〜山田の伊射奈岐神社鳥居前の信号の区間が先に開通して、その後に今の府道1号の万博外周取り付け道路が4車線で開通しているので、拡張のために掛け替えているはず。
・旧街道沿いに「だいのき公園」がある。大神木を冠したマンションもある。
・「だいのき」って言いにくくないか?と思ったが、同じ吹田市内に泉殿宮の御旅所「大の木神社(だいのき-)」が現存するので、言いにくいなんて事は無さそう。
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ウィキペディアの正誤表
※こちらの執筆者はめっちゃ調べてるのは伝わるし、読みにくい由緒書きを文字起こししてくれてるのは感謝します。
・味舌(現・千里丘)の須佐之男神社の由緒書きについて「聖武天皇の御代に味舌上村が存在したことになり味舌上村の成立時期が矛盾する」
→これは、由緒が書かれた時点での村名と考えるのが自然。ちなみに日本歴史地名大系では(同郷域の)坪井村内となっていた。大神木神社由緒書きに出てくる「摂津国三島郷大神木」も、古文書の引用に基づいている訳ではなく、ふわっとした書き方をしている。
味古→味舌説は、面白いとは思う。
・岸辺や唐崎、高浜と同時代に区分けされながら「上」が付く
岸部・唐崎・高浜は、昭和中期の「住居表示法」に基づいて分けられた地名。「同時代」では無い。
江戸期から昭和中期で引用するなら「吉志部には東と南が付いた村、のちの大字があった」であれば正しい。
しかし、この時代は山田も上中下があったし、同郡近隣で言えば穂積も上中下。沢良宜は東西浜。
小字の大神木も上下で、正尺(今の正雀より川の上流)も上下。長野は小字の時代も東西。
そもそも、延喜式も和名抄も村名リストは無いので「同時代」の証明は不可能。
]]>熊野街道(阿倍野街道)の東を通る道http://acta.jugem.jp/?eid=17582021-07-18T19:00:00+09:002021-07-18T15:49:55Z2021-07-18T10:00:00Z
前提
・公に制定された道ではありません。
調べてそれ以上出てこなかった部分を、明治・大正期に存在する道で補足して繋げただけのものです。
・なぜ、なぞりたくなったか?
元々は、大阪府サイトの「歴史街道ウォーキングマップ」に描かれている熊野街道の堺区...芥月地名ネタ
前提
・公に制定された道ではありません。
調べてそれ以上出てこなかった部分を、明治・大正期に存在する道で補足して繋げただけのものです。
・なぜ、なぞりたくなったか?
元々は、大阪府サイトの「歴史街道ウォーキングマップ」に描かれている熊野街道の堺区間に違和感を覚え、調べていました。
天王寺から大和川までは明治期に制定された「阿倍野街道(アベノの表記は多様ですが、現在最も一般的なものに統一します)」、堺市街以南は同期の「小栗街道」を踏襲している事が分かりました。
地名に依らない「小栗街道」を調べると、江戸期に文学作品の説経「をぐり」が著名になり、そのまま一部で街道名として定着した事や、平安期から見られる熊野詣と経路が似通っている事が分かり、阿倍野街道を通っている事も想定できました。
参照:上富田町文化財教室シリーズ
一方、堺市街以北で、大正期の大阪市街の地図に、阿倍野街道とは違う場所に「小栗街道」があり、文久改正堺大絵図
参照:堺市立図書館 地域資料デジタルアーカイブ
では堺市街北東側に「アビコ(我孫子/吾彦)」方面に向けて「小栗道」がある事が分かりました。
この「小栗街道」と「小栗道」の他の根拠を探しましたが分からず終いとなったため、自分で推定し繋げたくなったのです。
なお、初めは見出しを「小栗街道(天王寺〜堺)の推定路」とするつもりでしたが、中間部の根拠が無いため、誤って伝承しないように「熊野街道(阿倍野街道)の東を通る道」としました。
]]>京都の通り(東西の7)上珠数屋町通http://acta.jugem.jp/?eid=17572021-06-08T23:50:09+09:002021-06-08T14:50:09Z2021-06-08T14:50:09Z東西の7【上珠数屋町通】
平安京の条坊区画より細かい道。
河原町通に道路標識有り。
土手町から河原町、渉成園の北辺を経て烏丸まで。七条上ルから花屋町までの東西道は東本願寺及び渉成園の敷地に合わせていて、平安京の条坊区画とは一致しない。
渉成園の別名が...芥月地名ネタ
平安京の条坊区画より細かい道。
河原町通に道路標識有り。
土手町から河原町、渉成園の北辺を経て烏丸まで。七条上ルから花屋町までの東西道は東本願寺及び渉成園の敷地に合わせていて、平安京の条坊区画とは一致しない。
渉成園の別名が枳穀邸(きこくてい)である事から、ごく稀にこの上珠数屋町通を「上枳穀馬場通(かみきこくのばんばどおり)」、下珠数屋町通を「下枳穀馬場通」と呼ぶ事がある。]]>京都の通り(東西の6)正面通ほかhttp://acta.jugem.jp/?eid=17562021-06-07T23:40:00+09:002021-06-08T14:52:09Z2021-06-07T14:40:00Z東西の6【中珠数屋町通・正面通】
東端で「方広寺の大仏の正面」に出る事が通称の由来だが、大仏は1798年に落雷で焼失。のちに規模を小さくして上半身のみの復興大仏が立つも、これまた1973年(昭和48年)の火災で焼失した。南の北小路通と同じく途切れ途切れとなり、間...芥月地名ネタ
東端で「方広寺の大仏の正面」に出る事が通称の由来だが、大仏は1798年に落雷で焼失。のちに規模を小さくして上半身のみの復興大仏が立つも、これまた1973年(昭和48年)の火災で焼失した。南の北小路通と同じく途切れ途切れとなり、間で通称名が変わる。
<平安期>七条坊門小路。
<江戸期>新板平安城東西南北町并洛外之図の「キ」七条坊門通。文久改正新増細見京絵図大全(江戸末期)では東部が「大佛正面通」、東西本願寺間が「御前通」とある。
(1)正面通・東山〜菊浜(大和大路から河原町)
(2)中珠数屋町通・旧市街(間之町から烏丸)
(3)正面通・旧市街(新町から堀川通)
(4)正面通・旧市街〜近郊(大宮から千本)
(5)道路通称無し・近郊(新千本以西)
(1)=川端通に道路標識有り
かつての方広寺大仏殿、現在の豊国神社前から始まる。鴨川の正面橋は、川に対してやや斜めに架かる。渉成園で分断。
(2)=道路標識無し
渉成園の門前から東本願寺まで。この区間のみ、一筋南と一筋北の通り名に合わせて「中珠数屋町通」と通称される。東西の正面通と比べると、やや南にずれている。烏丸通向かい少し南に東本願寺の山門、御影堂門(ごえいどうもん)。東本願寺で分断。
(3)=「堀川正面」の交差点標識のみ
東本願寺裏から西本願寺前まで。堀川通から正面通に入る所の車道上に西本願寺の総門が立ち、堀川通西側に山門の御影堂門が立つ。西本願寺で分断。
(4)=道路標識無し
大宮から千本の短い区間だが、大宮から櫛笥東入までは旧市街、櫛笥東入から壬生川通西一筋目までは江戸期の八条村、そこから千本までは島原と、成り立ちが分かれる。西端で屈折するが、1976年(昭和51年)までは突き当たりに丹波口駅があった。JRと京都市卸売市場で分断。
(5)
道路名は無いが、新千本から天神道と、西高瀬川から西京極商店街(府道113号)までの区間に、条坊制の区割りの名残りが見られる。]]>京都の通り(東西の5)北小路通ほかhttp://acta.jugem.jp/?eid=17552021-06-05T23:50:11+09:002021-06-05T14:50:11Z2021-06-05T14:50:11Z東西の5【北小路通・下珠数屋町通】
七条通の一筋北に平行する、途切れ途切れの細道。東は下珠数屋町通、西は北小路通と、通称名が変わる。
<平安期>北小路。現在の猪熊との交点付近に東市、現在の天神道との交点付近に西市が設置されていた。
<江戸期>新板平安城...芥月地名ネタ
七条通の一筋北に平行する、途切れ途切れの細道。東は下珠数屋町通、西は北小路通と、通称名が変わる。
<平安期>北小路。現在の猪熊との交点付近に東市、現在の天神道との交点付近に西市が設置されていた。
<江戸期>新板平安城東西南北町并洛外之図の「ユ」北小路通。
(1)下珠数屋町通・旧市街(土手町から烏丸)
(2)北小路通・旧市街(新町から堀川通)
(3)北小路通・旧市街(堀川通から大宮西入)
(4)北小路通・近郊(櫛笥から千本)
(5)北小路通・近郊(新千本から西高瀬川)
(1)=河原町通に道路標識有り
土手町通はこの辺りでは河原町通の一筋東で、御土居の東辺。渉成園の南辺を通り、東本願寺境内で分断。「数珠」ではなく「珠数」屋町。読みは「じゅず」で同じ。
(2)=道路標識無し
東本願寺裏から西本願寺前まで。(1)と違い標識が無いので、通り名は認識しにくい。
(3)=道路標識無し(私道)
堀川通に面して西本願寺の北小路門があり、そこから千本までは西本願寺の塀外境内道。千本西入は龍谷大付属平安中・高への導入路。
(4)=道路標識無し
櫛笥から千本まで。諏訪開町・西酢屋町・夷馬場町は江戸期の八条村域。千本付近では、かつては御土居の西辺がこの通りで北西から南東の方向に屈折していた。JRと京都市卸売市場で分断。
(5)=道路標識無し
新千本(この区間の新千本通は京都市卸売市場の構内道)から西高瀬川まで。
条坊制の区割りの名残りは、これより西の西小路から川勝寺の松尾三宮社あたりにも見られる。]]>