京都の「小川」2
- 2013.07.31 Wednesday
- 01:15
前日の続きです。続けられました。
上立売通にぶつかって、西に70m進むと、
正面電柱の右に、小川の欄干が残っていた。
写真は上立売通を東向きで写しているが、小川と絡んで微妙にクランクしているのも分かる。
小川はここで左(北)に折れる。左に道は無く、小川通は20m奥(東)で北に折れている。
ここで右(南)に折れる道があるが、こちらは油小路通になる。
上立売上ル、報恩寺門前の欄干。川は完全に埋まっている。
小川通寺之内角。ここで小川通は再び小川に沿う。
百々橋(どどばし)の礎石の横に高札があり、小川は昭和38年に埋められたと記載されている。
寺之内上ル、本法寺門前の欄干。川跡がハッキリ残っているが、水は無く樹木が生える。
上立売通から紫明通の間の小川通は、前後関係を考えると「ここは、油小路通では?」と思ってしまうが、
今は無い小川を想像する事で「やっぱり小川通か」と、納得できる。
小川跡はこの先北西に曲がり堀川通の西に出て、玄武神社の東、島津工場の裏(西)を通る。
紫野通より北では区画整理で判別できないが、古地図ではほぼ真北に進んでいた。
(下流から上流に向かっての説明です)
上立売通にぶつかって、西に70m進むと、
正面電柱の右に、小川の欄干が残っていた。
写真は上立売通を東向きで写しているが、小川と絡んで微妙にクランクしているのも分かる。
小川はここで左(北)に折れる。左に道は無く、小川通は20m奥(東)で北に折れている。
ここで右(南)に折れる道があるが、こちらは油小路通になる。
上立売上ル、報恩寺門前の欄干。川は完全に埋まっている。
小川通寺之内角。ここで小川通は再び小川に沿う。
百々橋(どどばし)の礎石の横に高札があり、小川は昭和38年に埋められたと記載されている。
寺之内上ル、本法寺門前の欄干。川跡がハッキリ残っているが、水は無く樹木が生える。
上立売通から紫明通の間の小川通は、前後関係を考えると「ここは、油小路通では?」と思ってしまうが、
今は無い小川を想像する事で「やっぱり小川通か」と、納得できる。
小川跡はこの先北西に曲がり堀川通の西に出て、玄武神社の東、島津工場の裏(西)を通る。
紫野通より北では区画整理で判別できないが、古地図ではほぼ真北に進んでいた。
(下流から上流に向かっての説明です)