(あまり「森友学園問題」という表現をしたくないので、表題のようにしてみた)
先に上げた記事の通り、
服部天神宮から、西、南、東と逆コの字に進み、庄内駅まで歩いた。それを地図化した。
黒のポイントが、例の「小学校になり損ねた建物がある場所」だ。
北は穂積村囲堤(上の茶線)、南は野田輪中堤(下の茶線=南は省略)の間の土地で、昭和22年(1947年)までの南豊島村(穂積側)と昭和30年(1955年)までの庄内町(野田側)の境界が通っていた(灰色線)。古い地形図で見れば、当地は池であった。
池というより、堤防の外側に水が溜まったような形状である。堤防と堤防の間の、水はけの悪い土地だったのは容易に考えられる。同じ池があった土地の東寄りが「野田中央公園」となっている。
今は「野田町」となっているが、当然ながら昔の野田村の中心地ではない。野田村の中心地は現・庄内東町3丁目付近になる。穂積村の中心地も、現・穂積幼稚園付近で、地名がずれている。
左上の緑の囲み線が、
この日の3枚目の画像に上げている公園になる。
赤い線を左上に進むと大阪空港の滑走路がある。右下に進むと、飛行機が真上を飛ぶ新大阪駅がある。
私は土地価格には詳しくないので必要以上にツッコむ事はしないが、地理上は、足下も頭上も面倒臭そうな土地であるのは事実である。という事を、歩いて確かめたかったのだ。