泉の広場/阪神百貨店

  • 2018.10.31 Wednesday
  • 00:05
10月20日撮影
大阪 ホワイティ 泉の広場
来年度中に無くなるらしい泉の広場。読売新聞からの二次ソースしか見つからず、今後の展開がイマイチ分からんのだが…。

「ロケット広場」くらい分かり易い場所だと思うんですけどね。
ロケット広場のロケットは2007年8月に撤去してるのですが、未だに、その後の広場名「なんばガレリア」より通じる。

大阪 難波 ロケット広場
在りし日のロケット。2007年5月撮影

大阪 阪神百貨店
泉の広場と同日の阪神百貨店・梅田本店。左側(東)は6月に建て替えが完了した。右側(西)は2022年春に完成予定。38階建になるらしいので、この構図では完成後の建物は枠内に収まらない。

完成時には、既に完成済の阪急百貨店の建物を「大阪梅田ツインタワーズ・ノース」、この阪神百貨店の建物を「大阪梅田ツインタワーズ・サウス」、合わせて「大阪梅田ツインタワーズ」と名付けるらしい。建物は立派なのだが名付けのセンスが…

大阪 阪神梅田駅

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原田大輔片山ジャーマン必勝祈願参詣道

  • 2018.10.29 Monday
  • 00:05
吹田市 片山神社
JR吹田駅北の片山神社。大阪平野と千里丘陵の境目で、片側が山(丘)になっている。右側にビールケースが写り込んでいるが、

吹田市 片山神社
逆から見るとこの通り、アサヒビール「本家」前。

吹田市 片山神社
参道、二の鳥居、拝殿。

吹田市 片山神社
自動手水「柄杓を出口に持っていくと水が出ます」

吹田市 片山神社
桃の目立つ神社。

以下説明文より
〜「桃」は災難を振り払い福に転ずる果実と云われ、イザナキノミコトが桃の実の精霊によって危難をのがれ、当神社のご祭神(スサノオノミコト)をお生みになりました。手でさわってご祈念下さい〜

片山神社13:55着、14:06発で、この先8km強歩いた。
いつものように寄り道で時間を食ったせいで、若竹池通過が16:24。日が暮れるのも早くなってきたので、その先は寄りたい場所を全て通過。
しかし緑地小学校先の分岐に気が付かず、天竺川沿いの遊歩道を進んでいると、



豊中市 倒木
みどり橋(服部緑地の西口前)の少し南、神崎刀根山線を跨ぐ長興寺歩道橋の先に倒木があった。台風の影響だろうか?

豊中市 原田神社
阪急岡町駅東の原田神社には16:57着。
アーケードの先に神社がある。このアーケードが架かる道は能勢街道。この右の先、同じくアーケードの岡町・桜塚商店街と交差する。

豊中市 原田神社
境内。日暮れ一歩手前。こちらの主祭神もスサノオノミコト。

豊中市 原田神社
重要文化財説明文。江坂から富松(阪急塚口と武庫之荘の間)は広い。
ここから南南西500mの所には戦国時代に原田城があり、今もその周辺に原田の地名は残っている。
岡町村は明治の合併で豊中村、原田村は南豊島村となり、後に諸々合わせて豊中市となっている。阪急の駅名になっている岡町と比べて、原田は駅名にない分、あまり一般の知名度は高くないかも知れないが、地名力は折り紙付き。

ところで表題の意味だが、原田大輔という大阪プロレス生まれ・現ノア所属のプロレスラーがいて、彼が吹田市片山町出身で、決め技を「片山ジャーマンスープレックス」と名付けているので…、まあ、そういう事だ!

旧ノア所属で現在フリーとして参戦している鈴木鼓太郎との王座戦が10月30日(火)に控えているので、本日の歩行の最初と最後だけを繋ぎ合わせて、先に記事を書いた。

途中経過へ続く

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南座新会場祇園お練り

  • 2018.10.28 Sunday
  • 00:05
改築が終わり、11月1日に再開される南座。
その練り歩きが今日10月27日(土)にあるという事で、行ってみた。

場所は四条通の川端(南座前)〜東大路(八坂神社前)の間で、時間は14:30〜15:30。
14:00ちょっと前に河原町に着いたのだが、川端通より東の人波が、まあ動かん。
信号もろくに渡れず、京阪の駅に潜って7番出口(菊水横)から出ようとしたがこれも出られず、9番から末吉町通を東、花見小路を南に下がって、ようやく四条通に出られた。

京都 南座 祇園お練り

真ん中2車線分が練り歩きスペースで、歩道側の車線は観覧スペース。私の目には人の頭しか見えてない。

京都 南座 祇園お練り


京都 南座 祇園お練り

繰り返すが、この画像は、私の目には見えてない。笑

京都 南座 祇園お練り

練り歩きの終点、八坂神社前にバスが並んでいたのが謎だったが、

京都 南座 祇園お練り

こういう事だった。川端から東大路へ向かって練り歩いた役者さん達は、東大路から川端へ向かってバスで戻っていった。

京都 南座 祇園お練り

ドローンも飛んでいた。許可取って飛ばしてるとは思うが、許可取ってるか取ってないかなんて、他人には見ただけで判断できる訳が無いわなあ。

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向日市・竹の径を2度歩く(1)

  • 2018.10.26 Friday
  • 00:30
向日市 竹の径
阪急京都線・東向日駅からr207を西へ1km、1位式予告信号の手前を右折する所に、道標が乱立している。
「桓武天皇皇后御陵」の石柱と、「竹の径(たけのみち)」及び周辺観光地の道標と、電柱に付けられている「西の岡竹林通」の道路名標識。
なお、r207は地図上で「大原野道」と書かれる事があるが、この辺りでは標識は見当たらない。

向日市 竹の径
「竹の径」の道標拡大。見た目は普通の郊外住宅地。

向日市 竹の径
桓武天皇皇后陵(高畠陵)

「竹の径 かぐやの夕べ」という催し目当てで、21日の日曜日に、この先の道を昼と夜の2度歩いた。
(本来は、かぐや姫が登場するらしい20日に歩いた方が、より良かったようだ…)
この先、昼と夜の画像を混在させる。

向日市 竹の径
第6向陽小学校のイベントステージ

向日市 竹の径
小学校横(昼)

向日市 竹の径
小学校横(夜)

向日市 竹の径

向日市 竹の径
竹の径入口(昼)

向日市 竹の径
竹の径入口(夜)

いわゆる「ライトアップ」では無く、蝋燭の灯火なので、わりとガチで暗い。懐中電灯を持って歩いていた方も多かった。

続く



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天満(駅南側)の旧町名散策

  • 2018.10.12 Friday
  • 07:53
大阪市 天満 堀川
地図の(A)を記述。

大阪市 天満 堀川
JR大阪環状線の天満駅。
江戸期の大坂三郷「天満組」の北端にあった天神橋筋商店街の旧・池田町(いけだまち。天満市場がある現・池田町とは別)に、駅の西端がギリギリ掛かっている。周囲は川崎村だった。

大阪市 天満 堀川
商店街を南へ進むと、阪神高速の高架下に橋を模した建造物がある。川は無い。

大阪市 天満 堀川
夫婦橋碑。
夫婦池(めおといけ)という双子の池があったが、天保9年(1838年)に天満堀川がこの池を横切るように延長開削された。昭和43年(1968年)に埋め立て、頭上は阪神高速に。

橋の北側は、明治5年以前は夫婦町(めおとまち。女夫町、みょうとまち とも)。

大阪市 天満 堀川
商店街を離れて150mほど東、扇町通の高架下にある扇町バス停。
その傍に、綿屋町(わたやまち)の旧町名由来案内板がある。「旧町名継承碑」ではなく、板。

大阪市 天満 堀川
この赤斜線枠は、明治5-昭和53年の綿屋町。大阪市の継承碑類は、明治-昭和期の町名を記すのを基本としている。
明治5年以前は、商店街筋の夫婦橋以南も綿屋町だった。

大阪市 天満 堀川
天満堀川は、慶長3年(1598年)に開かれた当時はこの辺りが北端の行き止まりで、入堀状の運河だった。
240年後に先述の夫婦池付近を含めた部分が延長。綿屋橋は延長時に開通。

扇町バイパスが掘割状のため、橋は形を変えて現存している。フェンス越しの、赤枠が見える建物は関西テレビ(キッズプラザ)。

元祖天神橋筋(今の商店街)の江戸期の町名である摂津国町(つのくにまち)・綿屋町は、明治5年(1872年)に天神橋筋3丁目に変更。さらに昭和53年(1978年)には境界変更の上「筋」が取れて、天神橋3丁目に変更。
夫婦町・池田町は同4丁目。

補足へ続く

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空堀の凹(5)田島北ふれあい広場

  • 2018.10.09 Tuesday
  • 07:20
前回の続き

大阪市 谷町六丁目 空堀
写真25
田島北ふれあい広場。立ち入り禁止(2018.08.12現在)は地震の影響もあるか。

この公園は大阪市の「ホープゾーン(HOPE ZONE:直訳で「希望の地域」?)」による「防災機能を付加した路地整備」の地なのだが、これでは頼りなく感じる。

実はここが、空堀散策のきっかけだった。「これが広場?」という素朴な疑問。後、少し調べて「空堀=南惣構跡?」という疑問。

事前や散策最中に調べるとテレビ番組と超有名芸能人の名前が検索上位に出るので、テレビ既出なら歩いても意味ないかなと思いかけたが…(結局、歩いた)。

写真は左が西、右が東、奥が空堀商店街アーケード。
左が「金毘羅坂底に合わせた平面」で、右が「田島町筋に合わせた平面」になる。奥の商店街はなだらかな坂。階段かスロープかの違いである。

壁の造りを見ると、手前が石垣で途中からコンクリート壁になり、奥にまた石垣がある。手前の石垣・コンクリート間は埋められているが、奥のコンクリート・石垣間は隙間がある。
古地図(明治20年の大阪実測図)と比べたところ、手前の間は旧田島町の番地境界、奥の隙間は旧田島町と旧空堀町の境界に関係しているように見える。番地ごとに不動産売買によって開発された差で、住宅開発する過程で形成されたのだと思う。

今も公開されているブラタモリ(言っちゃった)のサイトを見ると、「空堀の痕跡」と記されている。私もここは空堀に関する段差だと思うが、石垣やコンクリート壁はその後の開発のものである事も留意したい。
【この項終わり】



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