前回の続き
浜甲子園地区にある鳴尾浜公園(隣接する運動公園は「浜甲子園運動公園」。鳴尾浜地区に鳴尾浜臨海公園があるので、今となっては名称がややこしい)の中を通り、浜辺へ出る。災害の余波か、フェンスが壊れたままになっている。
昭和55年(1980年)前後、親戚に連れられて、公園内にあった「厚生年金プール」に来た事がある。その時プールから見えた海の色は灰色で、本当に汚かった。今は綺麗になった。
干潮時に遺跡が現れる。ここに戦前は初代阪神パーク、戦中は海軍の鳴尾飛行場があった。干潮時刻に来るつもりが、1時間遅れてしまった。沖の人工島との間で、ヨットの帆が揺れている。
公園横の甲子園浜自然環境センター内に、初代阪神パークの展示がある。
防波堤の外で朽ちる鳴尾飛行場の護岸。防波堤上の標高は海抜4.6mで、それよりかなり低い。
甲子園筋を上がり、甲子園九番町交差点。近年増えた津波避難標識。「ここの海抜は0.6m。津波到達まで112分あるので鳴尾御影線まで1.5km、45分歩いて下さい」となっているが、そこまで歩いても海抜3m前後。その辺りは周辺宅地より甲子園筋が50cm前後高い(西宮市地理情報システムを参考)。
真ん中の地図には無いが、最下行に津波避難ビルの名前(ルゼフィール南甲子園、アメニティコート甲子園I)がある。QRコードもあるが、地図にマークだけでも記してくれた方がなお有難い。
甲子園球場の裏にある甲子園素盞嗚神社(こうしえん すさのお-)。既に来年の干支が掲げられてある。
初詣の幟に隠れてしまっているが、絵馬の下に岡田彰布 謹書の「野球塚」がある。
京都の六孫王神社に続いて、ここにも狛犬の足下に子犬がいた。私が気付いてないだけで、結構いるのかもしれない。
神社前を西に進むと、新甲子園商店街。巨大カツ丼で知られる某店などの著名店が散見されるが、この昭和臭のする光景はいつまで続くだろうか。
ここの南北の道は海辺から仁川まで西宮市街を縦断しており「中津浜線」と名付けられている。この通りの南端にあった旧地名が由来。大雑把に言えば、南甲子園が中津、浜甲子園が中津浜。旧・枝川と、甲子園裏のテニス場前の筋を流れていた支流の申川に挟まれた中州だった。
甲子園駅前。プランタン改めダイエー改めイオン改めコロワ甲子園(2018.4.26開業)。イオンも食料品部門のみ残っている。
コロワ甲子園になる前の姿(2017.6.3)。イオン甲子園店は2016.3.10改称、2017.10.1閉店。
時間が無いので甲子園駅から2駅分端折って、
(この間の鳴尾八幡神社は
鳴尾駅の記事を参照)
小松の岡太神社(おかた-)。鳥居手前は狛猪(静止像/ししぞう)。「高潮や洪水等の災害を未然に静止(防止)して五穀豊穣をもたらす猪(静止)打神事」(=現地説明板)の伝承に基づく。三角州内にあり、かつて水害の多かった当地らしい伝承。口元がちゃんと阿吽になっている。拝殿前は狛犬。拝殿は震災後の再興で、鉄筋。左奥に、伝承に関連する摂社・恵美須社が鎮座。
石標と、左奥から白山宮、伝 小松内府 平重盛卿供養塔、地主宮。
12月24日だと言うのに、紅葉がまだ散ってなかった。
【この項終わり】