東成区域の新住所予想

  • 2020.03.12 Thursday
  • 00:30
2020.10.18追記
8〜9月に議決された協定書に従うと、
「特別区名と同一となる、または方位と混同されやすい」場合に当てはまらないので、「東成」は入る。最終的には「住民の意見を踏まえて」決定する。
追記ここまで。以下は記述時の予想

大阪市→特別区移行後の予想
・新旧区名は違うが、由来がおおよそ上町台地東側の「東成郡」であり、元来の郡の範囲とは大きく異なる他、発足当初は現・旭区、城東区、鶴見区、生野区も含む区名だった事から、旧区名は冠さない可能性が高いと思う。

(4月23日追記)
「東成」を残す方法(私案)
・市道上新庄生野線の一部([桜小橋-]鴫野橋-玉津3[-林寺2])に、東成筋の愛称を設定する。同市道の「城北筋」はそのままで、未開通区間は保留。現在通称「疎開道路」とも呼ばれる玉津3以南の区間は、旧郡を考慮すれば「東成筋」でも問題無いし、生野の地名の残し方として「生野筋」としても構わない。


現行地名特別区化後の予想地名(現)読み方
東成区 大今里南北区?大今里南おおいまざとみなみ
東成区 深江南北区?深江南ふかえみなみ
東成区 東今里北区?東今里ひがしいまざと
東成区 大今里北区?大今里おおいまざと
東成区 大今里西北区?大今里西おおいまざとにし
東成区 玉津北区?玉津たまつ
東成区 東小橋北区?東小橋ひがしおばせ
東成区 中道北区?中道なかみち
東成区 中本(注A)北区?中本なかもと
東成区 東中本北区?東中本ひがしなかもと
東成区 神路北区?神路かみじ
東成区 深江北北区?深江北ふかえきた
区名再考例→梅田区?△△区?


(注A)中道の「中」と、本庄の「本」の合成で、大正14年(1925年)まで東成郡中本町。中本4丁目付近が本庄の集落。現・北区の本庄は旧・西成郡。

※新区名を「北区」とする事で話は進んでいるが、住民の知恵で覆る可能性もまだ残っていると思うので、一律「?」を付けている。→詳細

生野区域の新住所予想

  • 2020.03.07 Saturday
  • 00:30
2020.10.18追記
8〜9月に議決された協定書に従うと、
「特別区名と同一となる、または方位と混同されやすい」場合に当てはまらないので、「生野」は入る。
但し「行政区名と町名が連続、または漢字表記が連続する」生野東、生野西を除く。最終的には「住民の意見を踏まえて」決定する。
追記ここまで。以下は記述時の予想

大阪市→特別区移行後の予想
・予想が難しい地域。区名は区域の南西部にあった旧・生野村から採られていて、「生野東」「生野西」両町も現存するが、元々あった小地名ではなく、舎利寺にある舎利尊勝寺に残る「生野長者」の言い伝えが由来。住所変更で生野村の範囲は曖昧になってしまっている上、現在進行形で小中学校区の整理中で、それも巽地区以外は旧村の範囲と異なる。
・北西部は旧・鶴橋町、北東部は旧・小路村。
・南東部は旧河内国の渋川郡、のち中河内郡の旧・巽町で、区設立後の昭和30年(1955年)に編入。

・これらを加味して、下記「予想地名」には一律「生野」を冠したが、念のため確率に差を付けた。(住所変更のため、現在の町名と昔の町名・大字名の範囲は異なる)
・大部分が旧・生野村域にあたる町のうち「田島」は昭和48年(1973年)まで生野を冠していたため80%、「舎利寺」は区名の由来を含むため75%、「林寺」は70%。旧・生野村域と旧・鶴橋町域が混在し、現在区役所がある「勝山南・北」は60%。その他生野区設立以来の地域は55%。後年編入の旧・巽町域は51%。

・「天王寺区」が実現すれば、現・桃谷1丁目や勝山北1丁目の大部分は、昭和4年(1929年)以来1世紀弱ぶりに住所の中に「天王寺」が入る事になる。

●生野区
・昭和18年(1943年)東成区から分離、新設。


現行地名特別区化後の予想地名確率(%)(現)読み方
生野区 巽南天王寺区 生野巽南51たつみみなみ
生野区 巽西天王寺区 生野巽西51たつみにし
生野区 巽中天王寺区 生野巽中51たつみなか
生野区 巽東天王寺区 生野巽東51たつみひがし
生野区 巽北天王寺区 生野巽北51たつみきた
生野区 田島天王寺区 生野田島80たじま(注1)
生野区 林寺天王寺区 生野林寺70はやしじ(注2)
生野区 舎利寺天王寺区 生野舎利寺75しゃりじ
生野区 生野東天王寺区 生野東いくのひがし
生野区 生野西天王寺区 生野西いくのにし
生野区 勝山南天王寺区 生野勝山南60かつやまみなみ
生野区 勝山北天王寺区 生野勝山北60かつやまきた
生野区 桃谷天王寺区 生野桃谷55ももだに
生野区 鶴橋天王寺区 生野鶴橋55つるはし
生野区 中川西天王寺区 生野中川西55なかがわにし
生野区 中川天王寺区 生野中川55なかがわ
生野区 中川東天王寺区 生野中川東55なかがわひがし
生野区 新今里(注3)天王寺区 生野新今里55しんいまざと
生野区 小路天王寺区 生野小路55しょうじ
生野区 小路東天王寺区 生野小路東55しょうじひがし


(注1)小・中学校と神社は「たしま」。生野区公式サイトによると東成郡誌には「タシマ」とある。英字表記に差異が出る部分なので、将来的には「たしま」に統一しておいた方が吉。
(注2)小学校は「はやしでら」。生野区公式サイトによると東成郡誌には林寺が「ハヤシデラ」、林寺新家が「ハヤシジ」とある。
(注3)現在は近鉄今里駅南側が「新今里」、北側が東成区「大今里南」だが、元々はどちらも小路村の「片江」だった。今里駅は開業時の名称は片江駅で、今里片江駅を経て昭和4年(1929年)現駅名となる。住所変更の結果、片江の集落は生野区小路1丁目となり、片江小学校所在地は東成区大今里南2丁目となった。

平野区域の新住所予想

  • 2020.03.05 Thursday
  • 00:20
2020.10.18追記
8〜9月に議決された協定書に従うと、
「特別区名と同一となる、または方位と混同されやすい」場合に当てはまらないので、「平野」は入る。
但し「行政区名と町名が連続、または漢字表記が連続する」平野西、平野南、平野東、平野本町、平野馬場、平野北、平野元町、平野上町、平野宮町、平野市町を除く。最終的には「住民の意見を踏まえて」決定する。
追記ここまで。以下は記述時の予想

大阪市→特別区移行後の予想
・新旧区名は異なる。そして平野区の特徴として、「瓜破」「長吉」「喜連」「加美」の各地区は現時点で旧自治体名を冠している。このため、これら各町は新区で「平野」を冠する可能性は低いと思う。
・一方、旧・平野郷町の大半も「平野」を冠しているが、「流町」「背戸口」「西脇」の3町は現状冠していない。この3町が平野区分区以前は「平野」を冠していた事と、更に遡る平野郷の歴史を考慮すると、この3町は再び「平野」を冠する可能性が高いと思う。
・旧・瓜破村と旧・長吉村は旧河内国の丹北郡、のち中河内郡。
・旧・加美村は旧河内国の渋川郡、のち中河内郡。

●平野区
・昭和49年(1974年)東住吉区から分離、新設。



現行地名特別区化後の予想地名(現)読み方
平野区 瓜破西天王寺区 瓜破西うりわりにし
平野区 瓜破天王寺区 瓜破うりわり
平野区 瓜破南天王寺区 瓜破南うりわりみなみ
平野区 瓜破東天王寺区 瓜破東うりわりひがし
平野区 長吉長原西天王寺区 長吉長原西ながよしながはらにし
平野区 長吉長原天王寺区 長吉長原ながよしながはら
平野区 長吉川辺天王寺区 長吉川辺ながよしかわなべ
平野区 長吉長原東天王寺区 長吉長原東ながよしながはらひがし
平野区 長吉六反天王寺区 長吉六反ながよしろくたん
平野区 長吉出戸天王寺区 長吉出戸ながよしでと
平野区 喜連東天王寺区 喜連東きれひがし
平野区 喜連天王寺区 喜連きれ
平野区 喜連西天王寺区 喜連西きれにし
平野区 平野西天王寺区 平野西ひらのにし
平野区 流町天王寺区 平野流町ながれまち
平野区 平野南天王寺区 平野南ひらのみなみ
平野区 平野東天王寺区 平野東ひらのひがし
平野区 平野本町天王寺区 平野本町ひらのほんまち
平野区 背戸口天王寺区 平野背戸口せとぐち
平野区 西脇天王寺区 平野西脇にしわき
平野区 平野馬場天王寺区 平野馬場ひらのばば
平野区 平野北天王寺区 平野北ひらのきた
平野区 平野元町天王寺区 平野元町ひらのもとまち
平野区 平野上町天王寺区 平野上町ひらのうえまち
平野区 平野宮町天王寺区 平野宮町ひらのみやまち
平野区 平野市町天王寺区 平野市町ひらのいちまち
平野区 加美西天王寺区 加美西かみにし
平野区 加美鞍作天王寺区 加美鞍作かみくらつくり
平野区 加美南天王寺区 加美南かみみなみ
平野区 加美東天王寺区 加美東かみひがし
平野区 加美正覚寺天王寺区 加美正覚寺かみしょうがくじ
平野区 加美北天王寺区 加美北かみきた


※現・中央区(旧・東区の船場地区)に「平野町」有り。そちらの由来は、京都の平野神社とされている。

東住吉区域の新住所予想

  • 2020.03.04 Wednesday
  • 00:20
2020.10.18追記
8〜9月に議決された協定書に従うと、
「特別区名と同一となる、または方位と混同されやすい」場合に当てはまらないので、「東住吉」は入る。最終的には「住民の意見を踏まえて」決定する。
追記ここまで。以下は記述時の予想

大阪市→特別区移行後の予想
・新旧区名は違い、また旧・住吉郡域が大半だが、旧・住吉村や住吉大社からはやや離れている事と、現区名に方角が入っており、そのまま連称するとくどくなる場合がある(例:東住吉東田辺、東住吉公園南矢田)ため、旧区名は冠さない可能性が高いと思う。
・町名語尾に「矢田」が付く旧・矢田村は旧河内国の丹北郡、のち中河内郡。河内国と摂津国のおおよその境界は東西が現在の長居公園通、南北が現・住吉区と東住吉区の境界。
・「長居公園」は当区に属するが、長居を冠する各町は現・住吉区に属する。公園の東約3分の1が旧・鷹合。

(3月5日追記)
「東住吉」を残す方法(私案)
・長居公園東筋を、東住吉筋に改名する。
・今の通り名は平成7年(1995年)に付けられた大阪市内にしては新しめの愛称だが、長くて若干言い辛いのと、全通してない事もあり、まだ定着してない感がある(私感)。長居公園の東側を通過するが、旧・長居地区は通っていない。

●東住吉区
・昭和18年(1943年)住吉区から分離、新設。設置当時は矢田を含まず、現・平野区の平野と喜連を含んでいた。



現行地名特別区化後の予想地名(現)読み方
東住吉区 桑津天王寺区 桑津くわづ
東住吉区 今林天王寺区 今林いまばやし
東住吉区 杭全天王寺区 杭全くまた
東住吉区 今川天王寺区 今川いまがわ
東住吉区 西今川天王寺区 西今川にしいまがわ
東住吉区 田辺天王寺区 田辺たなべ
東住吉区 北田辺天王寺区 北田辺きたたなべ
東住吉区 山坂天王寺区 山坂やまさか
東住吉区 南田辺天王寺区 南田辺みなみたなべ
東住吉区 東田辺天王寺区 東田辺ひがしたなべ
東住吉区 駒川天王寺区 駒川こまがわ
東住吉区 針中野天王寺区 針中野はりなかの
東住吉区 中野(注1)天王寺区 中野なかの
東住吉区 湯里天王寺区 湯里ゆざと
東住吉区 鷹合天王寺区 鷹合たかあい
東住吉区 長居公園天王寺区 長居公園ながいこうえん
東住吉区 公園南矢田天王寺区 公園南矢田こうえんみなみやた
東住吉区 矢田天王寺区 矢田やた
東住吉区 照ケ丘矢田(注2)天王寺区 照ケ丘矢田てるがおかやた
東住吉区 住道矢田天王寺区 住道矢田すんじやた


(注1)現・都島区に「中野町」有り。
(注2)大阪市サイト町名一覧と郵便番号検索に従って「ケ」と記した。→天王寺区の注4参照

阿倍野区域の新住所予想

  • 2020.03.03 Tuesday
  • 00:30
2020.10.18追記
8〜9月に議決された協定書に従うと、
「特別区名と同一となる、または方位と混同されやすい」場合に当てはまらないので、「阿倍野」は入る。
但し「行政区名と町名が連続、または漢字表記が連続する」阿倍野筋、阿倍野元町を除く。最終的には「住民の意見を踏まえて」決定する。
追記ここまで。以下は記述時の予想

大阪市→特別区移行後の予想
・新旧区名は違うが、阿倍野を冠する現行町名があるのと、厳密な「阿倍野」の区域を確定しにくい(明治18年測量地図にも「天王寺村及安倍野村錯雑地」の文字が見える)ため、旧区名は冠さない可能性が高いと思う。本来の阿倍野集落の中心は「阿倍野元町」で、「阿倍野筋」は天王寺村。
・日本歴史地名体系は阿倍野村の主な範囲を「松虫通1・2丁目」「晴明通」「相生通1丁目」「阿倍野元町」「王子町2・3丁目」「など」としている。阪堺上町線の東天下茶屋駅周辺一帯になる。


現行地名特別区化後の予想地名(現)読み方
阿倍野区 旭町(注1)天王寺区 旭町あさひまち
阿倍野区 阿倍野筋天王寺区 阿倍野筋あべのすじ
阿倍野区 共立通天王寺区 共立通きょうりつどおり
阿倍野区 丸山通天王寺区 丸山通まるやまどおり
阿倍野区 松虫通天王寺区 松虫通まつむしどおり
阿倍野区 王子町天王寺区 王子町おうじちょう
阿倍野区 阿倍野元町天王寺区 阿倍野元町あべのもとまち
阿倍野区 晴明通天王寺区 晴明通せいめいどおり
阿倍野区 橋本町天王寺区 橋本町はしもとちょう
阿倍野区 相生通天王寺区 相生通あいおいどおり
阿倍野区 北畠(注3)天王寺区 北畠きたばたけ
阿倍野区 帝塚山(注3)天王寺区 帝塚山てづかやま
阿倍野区 万代(注2)(注3)天王寺区 万代ばんだい
阿倍野区 播磨町(注3)天王寺区 播磨町はりまちょう
阿倍野区 阪南町天王寺区 阪南町はんなんちょう
阿倍野区 西田辺町天王寺区 西田辺町にしたなべちょう
阿倍野区 長池町天王寺区 長池町ながいけちょう
阿倍野区 桃ケ池町(注4)天王寺区 桃ケ池町ももがいけちょう
阿倍野区 昭和町天王寺区 昭和町しょうわちょう
阿倍野区 文の里天王寺区 文の里ふみのさと
阿倍野区 松崎町(注A)天王寺区 松崎町まつざきちょう
阿倍野区 三明町天王寺区 三明町さんめいちょう
阿倍野区 美章園天王寺区 美章園びしょうえん
阿倍野区 天王寺町南天王寺区 天王寺町南てんのうじちょうみなみ
阿倍野区 天王寺町北天王寺区 天王寺町北てんのうじちょうきた


(注1)現・此花区(新・淀川区)に「朝日」、現・西成区に「旭」有り。
(注2)1丁目のみ。2〜6丁目は現・住吉区。
(注3)大正14年(1925年)以前は大半が住吉村域。住吉高校所在地の元々の住所は「住吉村 字阿部野」。阿部野神社も予定地を巡って紆余曲折があったが、最終的に住吉村内に建立された。このままであれば、新区でも引き続き袂を分つ形になるが、住吉の郡名・区名が無くなる事を考えると、住吉村ゆかりの地域で若干ながら「住吉」を冠する可能性もある(なお、町字境界は昔と今とで違う)。
(注4)大阪市サイト町名一覧と郵便番号検索に従って「ケ」と記した。→天王寺区の注4参照
(注A)一本松の「松」と、長者ヶ崎の「崎」の合成。

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