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前回の続き

天満のうち天神橋筋商店街より東では、東西に付けられた町名が少ない。
町名が無いということは旧町名継承碑も無いので、それ以外の名残りを探さなければならない。

天満地区ホープゾーン事業に掲載されている名称を軸に、角川地名大辞典や日本歴史地名体系、「大阪天満宮史の研究」、他各種サイトで調べた事を加味しながら歩く。
なお、通り名の冠称部分は省略で統一している。(例:天神鳥居筋→鳥居筋)

●裏門筋(国道1号・曽根崎通)
現在は当然「国道1号」でほぼ100%通じる。

かつては大阪天満宮の裏門を横切っていた。
裏門はこの筋に面する所に1つ、そこから1軒分南の旧・椋橋町の町家と天満宮境内の境目付近に1つ、計2つあった。2つの門は摂津名所図会で確認できる。2つの門の位置は現在は境外になり、現存しない。今ある北門(裏門)は、昔の裏門より南にある。

曽根崎通の愛称が付いているが、国道1号・国道2号で通じる事や、御堂筋などのように旧来からあった通称ではない事もあり、愛称はあまり浸透していないように感じる。地下を走るJR東西線の線名は無味乾燥だが、これが曽根崎線を名乗っていたら、もう少し浸透していたかも知れない。

南森町交差点の南東にはこんなものがある(北東にもある)。朽ちかけている。

大阪市 天満

どれくらい朽ちかけているかというと、

大阪市 天満

扇町ミュージアムスクエアがあるくらい朽ちかけている。

「曽根崎通」は道路標識として存在する分まだ通用する方で、グーグルマップ・マピオン・ヤフーマップなどで見られる「京阪国道」に至っては、私の感覚上は今この界隈で使われる事はまず無い。

●新門筋
天神さんより西の、国道1号から南1筋目。旧裏門と同じく今は境外市道の一部にあたるので、門は無い。

●霊符筋(仏照寺通)
天神さんより東の、国道1号から南2筋目。南1筋目は戦後の開通。
天満宮境内・霊符社側の門(東門)に通じる。

ところが、この散歩を計画した時点で私が角川地名大辞典を優先していた為、そちらで使用されていた「仏照寺通」から、仏照寺を追う。
仏照寺とは、(真宗大谷派)天満別院の旧通称である。

大阪市 天満

手前の駐車場は元境内で、空襲からの復興の際、分割貸与した土地である。その貸与先が読売テレビ。昭和33年(1958年)の開局から昭和63年(1988年)OBPに移転するまではここに社屋があった。

そのうち再びビルが建って、この角度からは写せなくなるかも知れない。

●表門筋
天神さんの表大門を横切る。

●鳥居筋
天神さんの鳥居が建つ。

大阪市 天満

天満堀川跡に残る樽屋橋親柱。東を見ると、遠くに鳥居が望める。背後の西天満側は老松通。
ここは天神祭の陸渡御巡行道になる。

大阪市 天満

鳥居は天神橋筋車道の東側に建つ。

大阪市 天満

天神さんの正面(旧・天神筋町)まで進むと、表大門が北に見える。
ここの左右は鳥居筋、門前の左右が表門筋。
昔はこの信号の位置にも鳥居があった。

余談だが、最近よく見るようになったこの型の信号の見てくれがなんか気持ち悪い。

●興門小路
真宗興正派の興正寺別院(天満興正寺)を貫く筋だが、今は興正寺は無く、跡地に滝川公園がある。

大阪市 天満

興正寺の西門から興門小路を見たつもりになって写す。

大阪市 天満

公園内のこの木の下に「天満興正寺御坊址」碑がある。
天満別院と同様空襲にあい、後の昭和40年には旭区赤川へ移転した。
大阪市サイトの「天満興正寺跡」の説明文は「旭区に移転している」で終っているのだが、今は赤川にも無い。

平成7年(1995年)の地形図には赤川の移転先に寺院マークがあるが、現状をストビューで確認した限りでは普通の住宅地になっていて(周囲より家が新しめ)、址も見当たらない。
神殿大観さんサイトに、さらに高槻市奈佐原に移転したとあるが、これも地元ながら確認できていない。

ここまでの筋はいずれも寺社由来なので、比較的辿り易く覚え易く説明し易い。しかし、

●魚棚筋
●渡場筋
●吹子屋町筋
●裏町筋
市之側に近いこの3筋のうち、魚棚筋と裏町筋は痕跡を見つけられない。渡場筋以外は市道名として現存(天満魚棚筋線・吹子屋町線・天満裏町線。天神橋筋商店街以西に限る)。
(川崎)渡場筋は「川崎の渡し(川崎渡)」、今の川崎橋に通じるので、南北道の川崎町の説明をする時に合わせて話す予定。

吹子屋町筋(ふいごや-)だけは、天神橋筋車道3差路どん突きの高層建築物・ジーニス大阪、旧・菅南中学校の裏手に、それほど古くないと思われる石碑が現存している。

大阪市 天満

江戸期の町名を整理する明治5年の時点で「菅原町」になっていたが、「吹子屋町」の通称の通り、吹子(ふいご・鞴)、即ち金属加工職人が居を構えていた地域。旧町名継承碑設置対象町名以前の町名という事になるが、継承碑より余程目立っていて、私は好きだ。

続く

大阪「天満」という地名の重心は、駅で言えば天満駅ではなく、南森町駅と大阪天満宮駅の周辺。

前回の天満駅南側散策の続きで、パン工場南すぐの阪神高速高架下、天満堀川跡に、

大阪市 天満
歩道橋が架かっている。

大阪市 天満
「溝之側横断歩道橋」の名前が付いている。
この東西の筋名として、手持ちの大正13年の地図他に「溝の側」とあり、文化3年(1806年)増脩改正摂州大阪地図には、この筋に溝のようなものが描かれている。
現・天神橋筋と現・天満橋筋の間は、この筋より南が町人町の天満組だった。北側は与力・同心屋敷と寺町。

大阪市 天満歩道橋から天満堀川跡の道路を見る。正面の「橋」はR1の堀川橋。

天満北側の「溝之側」と対を成す筋名に、南側の「市之側」がある。

大阪市 天満
大阪天満宮北門(裏門)着。古本まつりとあるが、10月8日の撮影。

大阪市 天満
本殿の東西に「登龍門」がある。期間限定で合格祈願のための通り抜け参拝をする時に通る門。
奥の台座を見ると、

大阪市 天満
「市之側」発見。(これでなくとも、境内に散見される)
市之側の「市」は、江戸期から昭和初期にかけて大川沿いにあった天満青物市場の「市」に通じる。

※天満市之側(天満菜蔬市[てんまあをものいち]=天満青物市場)の賑わいは、国立国会図書館デジタルコレクション 大日本名所図会 第1集第5編摂津名所図会 243コマ目(絵)242コマ目(文)で確認できる。

大阪市 天満
市は市でも古本市だが、通過に40分余りを要した。写真は天満宮境内・白米稲荷社。



続く

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これの補足
本編並の補足になってしまった(旧町名には特に触れていない)

大阪市 天満 堀川

地図の(B)を補足。

大阪市 天満 堀川

旧夫婦橋の親柱の1つがある、錦地蔵尊。右側が夫婦橋のものだが、

大阪市 天満 堀川

左は西喜橋のものである。シーサー?
この西喜橋がどこにあったか、現時点でまだ分かってない。補足のクセして解決してない。

大阪市 天満 堀川

中之島図書館に行って古い住宅地図を見た。高速の真下が天満堀川で、ここに橋があるっぽい描き方になっていたのだが、名前が無い。
右の大阪環状線の橋は、単に「堀川橋梁」。

大阪市 天満 堀川

梅ヶ枝橋も、よく見ると南側だけ欄干があった。これとは別の親柱もすぐ右のフェンスの中に眠っている。

大阪市 天満 堀川

珠久ちゃん(珠久美穂子)がラジオで、「西沢学園と言おうとすると、(アダ・マウロのあの言い方で)絶対に節を付けてしまう」と言っていたのがクソ面白かった。

大阪市 天満 堀川

エーワンベーカリーの工場。本店舗ではないが、「訳ありパンセット」の自販機がチラリと見える。買った。

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梅田どこ

阪急○番街シリーズじゃない梅田一番街

JRの高架下にある。阪急梅田駅と阪急百貨店の間で、西から、新梅田食道街→ムービングウォーク→梅田一番街、の順にある。

大阪 梅田一番街
阪急梅田駅側。旧イングス、現H&Mの向かいから、緑の店舗テントが見える。

大阪 梅田一番街
入口。左のクレープ屋さんも梅田一番街所属の店。

大阪 梅田一番街
阪急百貨店側。ヘップファイブの向かい。見えているラーメン屋さんも梅田一番街所属の店。

大阪 梅田一番街
入口。カレー、ピッツェリア&串バー、お好み焼き、ラーメン。通路の東側のみが店舗の、小さな商店街。

10月20日撮影
大阪 ホワイティ 泉の広場
来年度中に無くなるらしい泉の広場。読売新聞からの二次ソースしか見つからず、今後の展開がイマイチ分からんのだが…。

「ロケット広場」くらい分かり易い場所だと思うんですけどね。
ロケット広場のロケットは2007年8月に撤去してるのですが、未だに、その後の広場名「なんばガレリア」より通じる。

大阪 難波 ロケット広場
在りし日のロケット。2007年5月撮影

大阪 阪神百貨店
泉の広場と同日の阪神百貨店・梅田本店。左側(東)は6月に建て替えが完了した。右側(西)は2022年春に完成予定。38階建になるらしいので、この構図では完成後の建物は枠内に収まらない。

完成時には、既に完成済の阪急百貨店の建物を「大阪梅田ツインタワーズ・ノース」、この阪神百貨店の建物を「大阪梅田ツインタワーズ・サウス」、合わせて「大阪梅田ツインタワーズ」と名付けるらしい。建物は立派なのだが名付けのセンスが…

大阪 阪神梅田駅

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大阪市 天満 堀川
地図の(A)を記述。

大阪市 天満 堀川
JR大阪環状線の天満駅。
江戸期の大坂三郷「天満組」の北端にあった天神橋筋商店街の旧・池田町(いけだまち。天満市場がある現・池田町とは別)に、駅の西端がギリギリ掛かっている。周囲は川崎村だった。

大阪市 天満 堀川
商店街を南へ進むと、阪神高速の高架下に橋を模した建造物がある。川は無い。

大阪市 天満 堀川
夫婦橋碑。
夫婦池(めおといけ)という双子の池があったが、天保9年(1838年)に天満堀川がこの池を横切るように延長開削された。昭和43年(1968年)に埋め立て、頭上は阪神高速に。

橋の北側は、明治5年以前は夫婦町(めおとまち。女夫町、みょうとまち とも)。

大阪市 天満 堀川
商店街を離れて150mほど東、扇町通の高架下にある扇町バス停。
その傍に、綿屋町(わたやまち)の旧町名由来案内板がある。「旧町名継承碑」ではなく、板。

大阪市 天満 堀川
この赤斜線枠は、明治5-昭和53年の綿屋町。大阪市の継承碑類は、明治-昭和期の町名を記すのを基本としている。
明治5年以前は、商店街筋の夫婦橋以南も綿屋町だった。

大阪市 天満 堀川
天満堀川は、慶長3年(1598年)に開かれた当時はこの辺りが北端の行き止まりで、入堀状の運河だった。
240年後に先述の夫婦池付近を含めた部分が延長。綿屋橋は延長時に開通。

扇町バイパスが掘割状のため、橋は形を変えて現存している。フェンス越しの、赤枠が見える建物は関西テレビ(キッズプラザ)。

元祖天神橋筋(今の商店街)の江戸期の町名である摂津国町(つのくにまち)・綿屋町は、明治5年(1872年)に天神橋筋3丁目に変更。さらに昭和53年(1978年)には境界変更の上「筋」が取れて、天神橋3丁目に変更。
夫婦町・池田町は同4丁目。

補足へ続く

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前回の続き

大阪市 谷町六丁目 空堀
写真25
田島北ふれあい広場。立ち入り禁止(2018.08.12現在)は地震の影響もあるか。

この公園は大阪市の「ホープゾーン(HOPE ZONE:直訳で「希望の地域」?)」による「防災機能を付加した路地整備」の地なのだが、これでは頼りなく感じる。

実はここが、空堀散策のきっかけだった。「これが広場?」という素朴な疑問。後、少し調べて「空堀=南惣構跡?」という疑問。

事前や散策最中に調べるとテレビ番組と超有名芸能人の名前が検索上位に出るので、テレビ既出なら歩いても意味ないかなと思いかけたが…(結局、歩いた)。

写真は左が西、右が東、奥が空堀商店街アーケード。
左が「金毘羅坂底に合わせた平面」で、右が「田島町筋に合わせた平面」になる。奥の商店街はなだらかな坂。階段かスロープかの違いである。

壁の造りを見ると、手前が石垣で途中からコンクリート壁になり、奥にまた石垣がある。手前の石垣・コンクリート間は埋められているが、奥のコンクリート・石垣間は隙間がある。
古地図(明治20年の大阪実測図)と比べたところ、手前の間は旧田島町の番地境界、奥の隙間は旧田島町と旧空堀町の境界に関係しているように見える。番地ごとに不動産売買によって開発された差で、住宅開発する過程で形成されたのだと思う。

今も公開されているブラタモリ(言っちゃった)のサイトを見ると、「空堀の痕跡」と記されている。私もここは空堀に関する段差だと思うが、石垣やコンクリート壁はその後の開発のものである事も留意したい。
【この項終わり】



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